コラム
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2019/06/22

「自分史」は、少し長めの手紙だと言ってもいい

「自分史」は、少し長めの手紙だと言ってもいい

最近、手紙を書いていますか。

 

古くからの通信手段として知られる「手紙」。これは渡す相手が特定されているから「手紙」なのであって、不特定多数の人に見てもらうのであれば「チラシ」です。そして、自分のためだけに書くのが「日記」。まあ、これは言わずもがなですね。

 

そのなかで「自分史」を書く際に大切なのが、最初に「手紙」「チラシ」「日記」のどの要素にするのか決めること。つまり読者を想定するということです。

これを決めず、ひとつの作品に「手紙」「チラシ」「日記」のすべての要素が含まれていたとしたら、読み手が混乱してしまうでしょう。ただ、最初にどれを選択してもいいという自由度の高さは、「自分史」のいい部分であり、おもしろい点でもあると思います。

 

 

さて、では「手紙」「チラシ」「日記」のなかで、どのパターンが最も多いのか。やはり近しい人に思いを伝える、あるいは残すという意味での「手紙」的に書かれた自分史が最も多いと思います。「チラシ」的な書き方は著名人や経営者向き。「日記」に関しては、いわばそれ自体が自分史そのものなので、改めて「日記」的に自分史を書き直す必要はないかもしれません。

 

「手紙」的な自分史を書く側としては、書いた作品が周りの人たちにとってどんな意味を持つのかを知りたいと思います。残すメリットが感じられれば、自分史制作に積極的に取り組むことができるからです。

しかし、自らの「自分史」を読んで残された側がどう感じるかは未知数です。それを読んでどう感じたか、何を思ったかは、書き手としては知る由はありません。それでもなお、「自分史」を残したほうがいいという理由は2つあります。

 

 

1 手紙よりも思いが伝わる

 

1つは、普通に「手紙」を書くよりも「自分史」のほうが圧倒的に情報量が多く、思いが伝わりやすくなるからです。例えば便箋一枚の手紙でも、あとから読み返すと新たな発見があるもの。時を経て初めて、その文面に込められた書き手の真意や思いに気付けることもあると思います。

たった一枚の手紙からでもたくさんのことを読み取れるということは、その何十倍のボリュームがあるであろう手紙的要素で書かれた自分史は、手紙以上に読者の胸に響く内容になると思います。

 

2 真実をありのまま伝えられる

 

もう1つは、ずっと事実がねじ曲がらないことです。人間の記憶は意外とアバウトで、あいまいになった記憶は自分の都合のいいように編集されてしまうケースが往々にしてあります。そして人の記憶は、時が経てば薄れていくものです。

ということは、自らの思いを文字や映像で残していなければ、真意や思いがねじ曲がった形で不本意に相手に伝わってしまうといったリスクもあります。それでも口頭など何らの形で伝わっていたらいいほうで、思いを記すものが残っていなければ存在自体すら忘れられてしまってもおかしくありません。

 

もちろん、諸々を承知したうえで「別に忘れられてもいい、生きた証を残す必要はない」と考える方もたくさんおられます。ただ、もし自らの思いを形に残しておけば、将来どこかのタイミングで、「思いを残してくれていてありがとう」と感謝する人がきっと現れるはずです。

 

唐突に「自分史を残す」と宣言すると、どこか壮大なスケールに感じてしまうもの。もしそれが自分史執筆の障壁になっているとしたら、「家族やお世話になった方々に向けて、ちょっと長めの手紙を書いてみる」くらいの軽い気持ちで臨んでみるといいかもしれません。

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