コラム
COLUMN
書き方
「自分史」に、幼少期に出会った近所の大人たちについて書く
幼少期に交流した、近所の人たちのことを覚えていますか。
人間関係が希薄化している時代、特に都心部では「都会の無関心」などと言われますが、一昔前は近所の人たちとの温かい交流がたくさんありました。近所の大人が近所の子どもたちの面倒をみたり、隣の世帯に調味料を借りるなどというのは大らかな時代のあるあるですが、何かと物騒な現代においてこれらのやりとりはほとんどなくなっているような気がします。
とはいえ今の高齢者の世代が幼少期の頃は、きっと今以上に地域での交流があったはずです。近所に住む夫婦、豪邸に住む大家族、近所のアパートの大学生、魚屋のおじさん、クリーニング屋のおばさん、タバコ屋のおばあさん、マンションの管理人など、地域で暮らす人々との様々な交流があったのではないでしょうか。
・印象に残っている近所の大人
・周りの大人と話した内容
・近所の店で大人に良くしてもらったこと、怒られたこと
・隣人とのやり取り
・商店街にいた大人たちの印象
これに関しても地域や世代によってかなりバラツキがありそうです。たくさんの思い出がある人もいれば、もしかすると全く交流がないという人もいるかもしれません。
それにしてもなぜ、近所づきあいが減ってしまったのでしょうか。シンプルに考えれば、助け合いによるメリットよりも、付き合いによる面倒くささというデメリットのほうが上回っているからということなのだと思います。
専門のリサーチ機関によると、「近所トラブルの経験はありますか?」という問いに対して「ある」が53%と半数を上回ったそうです。騒音やゴミ出しが主なトラブルの原因です。さらにそのアンケートでは約70%の人が「近所の人と積極的に交流を図ろうとは思わない」と回答しています。この数字からも、できれば近隣の人とは関わりたくないという人々の本音が見えてきますね。個人的にも、あまり近所の大人とは関わった覚えがないような…。
いずれにせよ、「自分史」はある意味、誰とどう触れ合ってきたかの歴史でもあります。ぜひ、幼少期に触れあった近所の大人について、色々と思い出してみてください。盲点になりやすい項目ですから、意外なエピソードが思い出されるかもしれません。