コラム
COLUMN

書き方

2019/12/17

「自分史」に、小学校時代のクラブ活動について書く

「自分史」に、小学校時代のクラブ活動について書く

小学校時代、何のクラブに所属していましたか。

 

 

習い事にも似ていますが、学校側が運営しているというのが大きな違いです。いまは小学校中学年以上になると、どの学校でもクラブ活動が始まります。だいたい、月に2回ほど実施する学校が増えています。

スポーツ系ならばドッジボールやバスケットボール、ダンス、陸上、バドミントンなど。文科系ならばパソコンや英語、茶道、習字、合唱など、学校によってさまざまなジャンルがあります。

またそれとは別に、1976年生まれの私が小学生の頃は土日を利用して小学校の野球部やサッカー部もありました。こうした小学校のクラブ活動というのは、世代や地域によってさまざまな形があり、一概には言えないようですね。さて、小学校時代のクラブ活動の記憶はありますか。

 

・クラブ活動の内容

・試合や発表会での成績

・友だちとのエピソード

・担当の先生や監督、コーチのこと

 

など、覚えていることを自分史に記してみてください。ちょっとこのテーマに関しては様々なケースがあって情報が薄いので、簡単に自分のことを記してみたいと思います。

 

 

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私は小学校6年のとき、小学校の野球クラブに入部した。早い子だと小学校3年生くらいから始めていたから、極めて遅いほうだ。野球を始めた理由は、その小学校出身のプロ野球選手がシーズンオフに数回ほど練習を手伝いに来てくれていて、そのユニフォーム姿がものすごくカッコよかったからだ。小学校5年生の冬、たまたまその練習中のシーンを目の当たりにした私は、なぜかは分からないが無性に野球に興味を持った。ファミコンの野球ゲームのファミスタを友だちとよくやっていたというのも理由の一つだ。

 

その選手とは元日本ハムファイターズの内野手、五十嵐信一選手だ。彼はいわゆる半レギュラーの選手で、代打や守備固めでの出場が多くスタメンでの出番は少なかったが、高卒から入団した生え抜きの選手として人気は高かった。当時、プロ入り10年目くらいだっただろうか。

 

それに当時から私は日本ハムのオレンジ色の帽子を気に入ってよくかぶっており、運命的な何かを感じたのも確かだ。当時、プロ野球の帽子と言えば強豪の巨人か西武というのがお決まりで、日本ハムの帽子をかぶっていたのは地域では私くらいのものだったと思う。

 

これはたまたま母に買い与えられたもので、日本ハムがどんなチームかも知らなかった。ちなみに2つ下の弟は緑色の南海ホークス(現・ソフトバンク)の帽子を買い与えられていたが、彼はあまり気に入らなかったのか、その帽子をかぶることはほとんどなかった。日本ハムと南海と言えば、当時はパリーグの弱小2球団。今思うと相当マニアックというか変わり者の母だ。

 

野球部での出来事を記すと長くなりすぎるので割愛するが、6年生から入った私はレギュラーにはなれなかった。だけど野球の基礎を学ぶことができ、その後も野球に携わるうえで貴重な経験になった。あえて日本ハムの帽子を買い与えてくれた母と、わざわざプロ野球のユニフォーム姿で母校の練習に参加してくれた五十嵐選手に感謝したい。

 

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