コラム
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書き方

2019/11/05

「自分史」は、文章が下手なほうが伝わる?

「自分史」は、文章が下手なほうが伝わる?

 

「自分史」を残したいのだけれど、書くことにどこか抵抗があると感じたことはありませんか。

 

実際、このような思いを持ち続けながら結局は残せずじまいという人は非常にたくさんいます。その理由は大きく2つ。一つは「自分の人生は普通なので書くまでもない」という謙遜と、もう一つは「文章を書くのが苦手」という技術的な部分です。ただ、これは大きな勘違い。そもそも「ふつう」であることが自分史の定義ですし、文章はなにも小説家のような流暢な文章を書く必要は全くないからです。

 

まず、「自分の人生は普通なので書くまでもない」について。

まず大前提として、書くに値しない人生などありません。誰だってそのときそのときを懸命に生き、その歴史が今につながっているからです。そうした人生のなかで感じた喜びや苦悩、葛藤などは必ずあるはずで、それを掘り下げることが読者の共感や内容の面白味につながります。

そもそも、自分の「ふつう」は他人にとっては「特別」です。例えば長年、漁業に携わってきた人の人生は、大手企業の営業畑を歩んできた人からするとまったく分からない世界ですよね。自分が経てきた道は、自分しか分からないもの。つまり、自分の人生を「ふつう」と思っているのは自分だけなのです。

 

そしてもう一つ、「文章を書くのが苦手」について。

自分史を書くうえで、文章力など全く必要はありません。どんな表現であれ、ありのままを自分の言葉で伝えることができれば、読者の心に響く素晴らしい作品になると思います。逆に、どんなに文章がうまかったとしても、中身がスカスカだったり当たり障りのない上辺だけの内容であったなら、何の意味もありません。表現の豊かさや小手先のテクニックだけでは、読み手の心は動かないんですね。

 

では、「読者の心に響く文章」とは何でしょう。それは「どれだけ真摯に書かれているか」「どれだけ細部にわたってかかっているか」に尽きます。たとえ誤字があったり、多少読みづらかったりしても、文章から書き手の一生懸命さが伝われば、その思いは必ず読者の心に響きます。文章とは、その人の人格でもあるからです。

例えば自慢話を書くにしても、書き手の傲慢さが感じられると面白くありません。自慢話が敬遠されるのは、まさにその点にあります。逆に自慢話でも、そこに真摯さや謙虚さが含まれていれば、読者は興味深く読んでくれるでしょう。

 

結局、当たり触りなく抽象的な表現できれいにまとめられている文章よりも、書き手の個性があふれている文章のほうが魅力的に感じるもの。そもそも「自分史」ですから、文章から人柄がにじみ出たほうが面白いのは当然です。そう、「自分史」の文章は我流のほうがいいのです!

ですから文章の巧拙は関係ありません。自分が思うがままに一生懸命、書き進めれば、その思いはきっと多くの読者の胸を打つはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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