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書き方

2019/06/10

「自分史」には、世界史の100倍の密度がある理由

「自分史」には、世界史の100倍の密度がある理由

当たり前ですが、「自分史」は自分の歴史のことです。

 

世界史は、世界の歴史のこと。日本史は、日本の歴史のこと。ですから自分史は、自分の歴史ということになります。

「世界史」も「日本史」も「自分史」も、史実という観点では同じものです。違うのはその規模感だけ。ということは「自分史」を書く意識として、世界史や日本史をまとめるように取り組んでもよさそうです。

 

例えば自分史に、世界史や日本史の教科書で用いられている要素を加えてもいいと思います。歴史の教科書はたいてい、覚えておくべき事件や重要な人物の名前が太字で掲載されているので、製本の際は同じように表記すれば歴史書としての雰囲気が出ます。

ニュアンスに関しても、例えば「中島和彦(1948~)と意気投合したのは、1959年に起こった3年1組・冬の乱が契機だった」とか、「会社の倒産によって引き起こされた2011年の丸山家大恐慌により、小遣いが5分の1に激減した」「勝手に冷蔵庫のプリンを食べてしまったことが、妻との5日間戦争の始まりだった」など、いかにも歴史を記すような文体にアレンジしても面白そうです。

 

 

世界史や日本史と「自分史」を比較したとき、決定的に違うところがあります。世界史や日本史は基本的に自分の力ではほとんど何も変えられない一方で、「自分史」はその内容の全てを自分で切り開けるという点です。

 

時間の流れも全く違います。世界史は人々が文明を持ち始めてからの約1万年ですが、自分史はどんなに長くても100年。ということは「自分史」の歴史的な流れは、世界史の100倍にあたります。「自分史」の1年が世界史の100年に相当するわけで、そう考えると「自分史」は非常に内容の濃いコンテンツだと捉えることもできそうです。

 

それに世界史や日本史は過去の出来事を学ぶことがほとんどですが、「自分史」は書きながらにして開拓していくこともできます。つまり自分史は「過去の自分と未来の自分をつなぐもの」でもあるのです。

 

 

いずれにせよ、世界史や日本史は膨大な数の資料が残され、大勢の歴史家によって詳細にわたってまとめられていますが、自分の「自分史」は何もまとめられてません。よほどの著名人や特別な人ではないかぎり、誰かがまとめるということはありえないからです。

世界史や日本史では様々な情報が残されており、今はそれを調べることも容易にできますが、「自分史」だって調べようと思えば調べられます。ただしそれができるのは自分だけ。だから自分史の最高の筆者は、自分なのです。

 

あなたの歴史を知りたいと思う人は、きっと周りにいます。今いなかったとしても、時が経てばきっとその人は現れるはずです。さらに自分史は、書くことであなたのより良い未来を創るもの。ぜひ、自分の歴史を「自分史」として残してみてください。広義の意味で「自分史」は、日本史でもあるわけです。

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