コラム
COLUMN
書き方
「自分史」の面白みは細部に宿る
自分史は、細部にこそ面白みがあります。
■普通の人生など存在しない
もしかしたら、今から自分史を書こうと思っている人のなかに、「波乱万丈な人生のほうが内容は濃くなるし、読者も喜ぶのではないか」と考えている人がいるかもしれません。
とはいえ、自分史=「平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったもの」ですから、自分史の内容は基本的に平凡な人生が描かれます。
ニュースやメディアは人々の関心を惹くため、波乱万丈な人生を歩んでいる人をクローズアップしがちですが、現実問題として、ドラマや小説の題材になるような劇的な人生を歩んでいる人はほとんどいません。
実社会にはむしろ、自らの役割を全うし、ささやかな幸せを手にしている人のほうが圧倒的に多いと思います。
ただ、そうした普通の人生を送った方々のなかには、「自分のありふれた人生など自分史を書くに値しない」と思っている人もいます。というよりほとんどの人が、そのように考えているかもしれません。
しかし、自分史を書く書かないは別として、これだけは間違いなく断言できます。「普通の人生など存在しない」と。逆に言えば普通ではないからこそ、自分史を書く価値があるとも言えます。
■無数にある普通の人生
確かに多くの人の人生は平凡かもしれませんが、それが普通というわけではありません。「平凡=普通」と思っているのは自分だけなのです。
そもそも〝普通″という言葉の捉え方自体、人によって様々。であるがゆえに、自分にとっての普通は、他人からすると特別なことだといったケースは往々にしてあります。
仕事を一つとっても、職種が細分化された今の世の中には約17000種類(厚生労働省による職業分類)もの職業があります。ほとんどの人が、自らの人生でこのうち数種類くらいしか経験ないわけで、あとは未知の世界。
例えば自分史に、自らが経験してきた仕事内容を記したとします。それは自分にとって普通で当たり前かもしれませんが、読者からすると全く未知な世界のことが書かれているわけで、それだけで興味や関心を惹く大きな材料になり得ます。
もちろん仕事だけでなく、人によって生まれ育ってきた街の環境や文化、風習なども様々、生きてきた世代も様々、触れ合ってきた人たちも様々で、それらを掛け合わせた数だけ普通の人生があります。いわば、いまの人間社会は〝様々な普通の人生が無数にある状態″。ややこしい表現になりますが、普通の形が無数にあったら、それはもう普通ではなく特別といっても差し支えないでしょう。
つまり、自分が経てきたことや価値観、考え方、感じたことなどを克明に記すだけで、第三者の読者からすると、ましてやその自分史の書き手のことを知っていたりすれば、興味深い内容になることは間違いありません。
■普通の人生の細部にある面白み
平凡な人生を送る人の自分史をさらに興味深くするコツの一つに、〝細部まで書く″というものがあります。細かい部分まで記すことでよりリアリティが増し、読者の共感につながるからです。細部まで書く際に気を付けるべきは「本音で書く」「具体的に書く」の2つです。
・本音で書く
人間がコミュニケーションを図るうえで、誰もが多少なりとも〝本音と建前″を使い分けて生きています。特に日本人は、相手の気持ちを察することを重んじる性質があるので、相手の本心が見えづらいことも少なくありません。
そもそも〝建前″とは、本心を隠して遠回しに相手に気持ちを伝えること。例えば相手から「前向きに検討します」と言われたとして、その人は露骨に断れないからそう言った可能性もあり、それが本音か建前かは分かりづらいですよね。
もちろん、コミュニケーションを円滑にするうえで〝建前″を言うのは、目の前の人を傷つけないという意味において、むしろいいことかもしれません。しかしそんな感覚で自分史でも建前を書いてしまうと、読者が混乱するだけなのでやめたほうが無難です。
本音と建前を見分ける際、対面した相手の表情や声色などである程度、察することができるからいいわけで、それと同じことを文章でやってしまうと全く真意が伝わらないのです。読者は書いてあることをストレートに受け取りますから、誤解を招いてしまう可能性も大いにあり得ます。
ですから自分史を書く際は本音で、自らの心情をできるだけ赤裸々に書く。人間は誰しも弱い部分をもっていますから、それさえもさらけ出せば必ず、読者の共感を得ることができます。もし、どうしても本音で書くことができないエピソードがあったとしたら、それを建前で書くよりは、いっそ何も書かないほうがベターです。
それと〝本音で書く″ということは、〝心の機微を書く″ということでもあります。例えば子供が大学卒業を機に実家を巣立ったとして、「息子が就職を機に都会で一人暮らしを始め、私は大きな喪失感にさいなまれた。ただ、心の片隅でどこか清々したというか、息子から解放された自由な喜びを感じたのも事実だ」というように、心の揺れ動きを細部にわたって書くというのも、間違いなく文章の面白さにつながります。
・具体的に書く
自分史は、できるだけ具体的に書くこと大切です。記憶にも限界がありますが、覚えていることの隅々までを全て書く、という姿勢でちょうどいいかもしれません。当然ですが、その内容が具体的であればあるほどリアリティが増します。逆に抽象的だったり、フワッとした内容のない表現ばかりだと、やはり面白みに欠きます。
例えば、自分の父の人となりを書くにあたり、
「私の父は厳格な人で、食事中は小さなことでもよく怒られた。一方でやさしい一面もあり、私が家の手伝いをしていると褒めてくれた。父は食事を終えると、いつも居間でビールを飲みながら野球中継を観ていた」
と書いてあったとします。ただ、これだけだと具体性に欠け、父がどんな人なのかいまいち見えてきません。そもそも人間は誰しも、優しさと厳しさの両方を持っているわけですし、どうしてもこの文章は抽象的に感じてしまいます。
具体的に書くとするなら、例えば
「陸軍少佐として一個大隊を率いていたこともある私の父は、戦時中の影響からか非常に厳しく、食事中に私が茶碗から米粒を一粒ポロっと落としただけで、しゃがれるような低い声で烈火のごとく私を𠮟責した。
勉強に関しては口うるさく言わなかったが、お風呂掃除や母の料理の手伝いをしたあとは、はち切れるような笑顔で優しく頭を撫でてくれた。
ちゃぶ台で食事をする父は、ヨレヨレの紺色の着物を着ていながら、いつも正座で背筋がピンとしていた。食後は少し大きめの茶色い座椅子にもたれ、爪楊枝を口に加えながら、エビスの瓶ビールを片手にテレビの野球中継を観るのが常だった。熱狂的な巨人ファンで、巨人が負けた次の日はいつも機嫌が悪く、家じゅうが何となく暗い雰囲気でピリピリしていたことを覚えている」。
このような感じで、覚えている情報を詰め込めば詰め込むほど、具体的な文章になります。このように、細部にわたって書けば書くほど読者はその情報を頭で描きやすくなり、面白みが増していくというわけです。
ちなみに、例えば芸人のエピソードトークでも、話がうまくて面白い人の内容は非常に具体的。出来事の細部まで表現してくれるので、聞き手はその絵をイメージしやすいのです。逆に話が下手な人の特徴は、抽象的な表現が多すぎること。残念ながら政治家の話が面白くないのは、抽象的であいまいな表現が多く何が言いたいのか分からないからです。
■まとめ
自分史は、波乱万丈なストーリーだからといって面白いわけではありません。自分史は、どんな普通に思える人生もオリジナリティにあふれています。だからこそ、その普通の人生の細部に面白みが宿るのです。
例えば仕事のことなら、仕事の魅力や面白くない点、職場での人間関係、仕事へ向き合い方などにおいて、細かい心理描写をすればするほど読者が引き込まれる内容になります。心の機微や葛藤は誰にでもあり、読者の共感につながりやすいからです。
その描写が細かければ細かいほどリアリティが増し、その出来事が本当に細部にわたって丁寧に記されていれば、読者がその人生を体験したかのような気持ちにだってなれるはずです。逆にその人がどんなに貴重な体験をしていたとしても、具体性に欠けた内容だと、読者の心は掴めません。
つまらないのは、成功者のダラダラとした自慢話(なかには興味深い自慢話もありますが)と、フワフワとして取り留めのない話。いわゆる普通の人が「自分史に書くまでもない」と思っているような内容の細部が、本当は面白い話だったりするのです。ぜひ、自分だけが普通だと思っているその面白い人生の細部を、できるだけ丁寧に自分史に記してみてください。