コラム
COLUMN

書き方

2022/10/03

「自分史」の最高の作者は自分

「自分史」の最高の作者は自分

 

■自分史を書くうえで真っ先に抑えるべきポイント



「自分史」を書く理由は、人それぞれです。

 

 

・孫やまだ見ぬ子孫に向けて自分なりのメッセージを残したい
・なんとなくではあるが、自らの生きてきた証を残したいという漠然とした気持ちから
・リタイア後の過ごし方の一環として
・死と直面したことで、生きているあいだに何かできることはないかと思って
・遺言書やエンディングノートを書き終えた後、その延長線上にあるものとして
・子どもたちに自分史執筆を勧められて重い腰を上げた
・俳句集や歌集に自分史の要素を加えようと考えた

 

 

といった具合に、自分史は非常に自由度が高いものだけに、着手する動機や取り組む姿勢も無数にあります。いずれにせよ「自分史」を執筆するにあたり、真っ先に抑えておきたいポイントがあります。それは、「自分の自分史は、自分にしか書けない」ということ。当たり前ですが、自分の本当の気持ちや経てきた経験は自分にしか分からないからです。面倒だからと言っても、他の誰かに自分の自分史を創ってもらうわけにはいきません。原稿制作を誰かに依頼するとしても、少なくとも相手に自分のことを口頭で伝える必要があります。

 

自分のことを最も知っているはずの自分でも、自分のことが分からなくなるときさえあるのが人間です。自分が過去にしてきたことを振り返ったとき、「なぜあんなことをしてしまったのだろう」と、自分の行動を疑問に思うことも往々にしてあるでしょう。つまり自分でさえ自分を理解しきれないわけですから、他人が自分のことを理解できるはずがないのです。


例外として、たとえば〝恋は盲目″という言葉のように、あることに集中しすぎて周りが見えなくなったとき、主観(自分)で気づかないことを客観視する他人が教えてくれるというケースもあります。ただ、それは自分の人生におけるほんの一要素にすぎず、全てを他人が理解してくれているわけではないですよね。

 

 

■大切なのは情報のアウトプット


というわけで繰り返しになりますが、自分のことをよく知る両親や家族にお願いしても、著名な小説家にどれだけお金を積んで執筆を依頼しても、自分の満足のいく「自分史」を作り上げることはできません。だからこそ自分史の作者は自分しかいないのです。

 

例えば「日本史」ならば、共有財産として数多くの文献や資料が残されていますから、それを元に日本史の関連書籍を出版することができます。また、現在は書籍やインターネットを通じて、日本史に関する様々な情報を手に入れることが可能です。しかし「自分史」はどこにも共有されていないことがほとんどなので、もしも自分史を形として残したいと望んだのなら、自らで情報発信するというか、情報をアウトプットすることは避けられません。

 

 

■自分史執筆に敷居の高さを感じる理由


ただし一般人が自らの情報を発信するというのは、大きなストレスや苦痛を伴います。自らのなかに在る情報をアウトプットしようと思うと、脳みそをフル回転させたり、資料になりそうなものをほうぼうから探してくる必要があるなど、ものすごい労力が必要になるからです。


ツイッターやフェイスブックなども情報発信の一つですが、これはまた意味合いが違ってきます。これらのSNSが気軽に使えるのは、ある出来事に対しての自分なりにレスポンスするといった側面が強く、自分史のようにわざわざ自分の足跡を記す必要はないからです。

 

そもそも一般の人が普通に生きていく上で、自ら望まないかぎり、自分の個人的な情報を発信する機会はほとんどありません。たくさん学んで読書して様々な知識をインプットしてきた非常に博学な人でも、意外とアウトプットが苦手です。やはり普段から情報発信したり自己表現している人でないかぎり、自らのことを誰かに伝えるということに抵抗がある人は多いようです。


おそらくそれは、日本人ならではの奥ゆかしさや、謙遜を美徳とする心、「沈黙は金」という意識などがあるからではないでしょうか。このことが、〝日本人の7割が漠然と自分史を残したいと思っているが、結局は残さずに他界してしまう″という現状に繋がっているのだと思います。

 

また、「自分史を書いてみよう」と思い立ったとしても、いざ自らの人生を振り返ってみて「自分が歩んできた道なんて平凡すぎて書くことがない」と感じ、その執筆を諦めてしまった人も少なくありません。確かに世に出回っている偉人や著名人の自伝と比べると、ストーリー性や面白みに欠けると感じる気持ちも分かります。

 

 

■自分の日常は、他人の非日常


ただ、仮にその方が80歳だったとしたら、その膨大な歳月のあいだに数々のドラマや岐路があったであろうことは容易に想像がつきます。この点について、知名度や物事の規模は関係ありません。「イチロー選手のメジャーリーグ挑戦」も、「木村さんの証券会社から不動産業界への転職」も、「松本さんの二世帯住宅の購入」も、本質的には一緒。それは自分なりの大きな変化ですし、そこに生きる自分の日常は他人の非日常ですから、その部分に興味を持つ人は必ずいるのです。

 

そもそも自分史の定義は、「平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったもの」。幼少期、学生時代、社会人時代と、それぞれの時期を丁寧に掘り下げていけば、必ず書くべきことがみえてきます。

どんなに自分の人生が平凡と思っていたとしても、いざ本腰を入れて振り返ってみると「書くことだらけだった」という方も大勢おられます。それは日々、なんだかんだ言っても一生懸命に生きているからです。


自分の人生を生き、その時々で最良の選択をしてきたであろう繰り返しの結果として今があるわけですから、堂々と、自身が生きてきた証を書き記せばいいのです。
過去を振り返って後悔することもあるかもしれませんが、そう思うこと自体、よりよい人生を過ごしたい、より頑張りたいという気持ちの表れなのではないでしょうか。もちろん、どうしても書きたくないことがあれば書く必要はありません。その出来事が自分のなかで消化できたとき、初めて記せばいいことです。これも、自由度の高い「自分史」ならではと言えます。

 

 

■まとめ


ですからぜひ、ご自身が経てきた唯一無二のストーリーを、自身の手で記してみてください。もし書くのが苦手でも、自分が話した内容を元に第三者が自分史として文章にまとめるというやり方もあります(これも弊社の取り組みの一つです)。要するに、専門家と共に自分史を創り上げるということですね。

 

いずれにせよ「自分史」を残すということは、自らの情報を発信するということ。そしてその情報を知っているのは自分だけ。だからこそまずは、〝自分史の最高の作者は自分″という認識を持つことが大事なのです。

サービスに関するご質問、気になる点はお気軽にご相談ください。

090-6548-3331
9:00-21:00(土日祝除く)