コラム
COLUMN
自分史の豆知識
2023/02/10
【1949年】自分史と関連付けて書きたい1949年の出来事
1949(昭和24)年に生まれた人は、今年(2023年)で74歳を迎えます。
1945年の終戦後、壊滅的な打撃を受けていた日本はGHQ(連合国最高司令官司令部)の占領下で国内経済の立て直しを目指していましたが、この年は日本経済復興のターニングポイントになりました。
■徹底的に排除された軍国主義者
抜本的な改革を進めるため、GHQが真っ先に着手したのが公職追放です。日本の要人を「軍国主義」と「平和主義」の2タイプに分け、前者の好戦的国家主義者とみなされた政治家や軍人、警察官、官僚など約6000人が一斉にその職を奪われました。
その手はすぐさま教育分野にも及び、1945年10月末には約7000名の軍事主義的な教職員が追放に。公職追放によって社会的制裁を受けたのは、最終的に一般市民も含めて約21万人と言われています。
さらに戦争犯罪人を追及すべく、1946年から1948年にかけて東京裁判(極東国際軍事裁判)が行なわれます。日本を戦争に駆り立てた多くの政治家や官僚、警察幹部、軍人らが起訴され、最終的に陸軍大将・東條英機ら7名が死刑を宣告されました。
■ハイパーインフレの理由
こうして終戦の1945年から1948年の約3年間でGHQが日本の軍国主義者を徹底的に排除したことにより、いよいよ経済復興の機運が高まります。そしてこの年の3月にGHQから、日本が採るべき経済政策をまとめた「経済安定9原則」の声明が発表されました。
実はこの時期の日本は、物価が10年前から比べて100倍以上になるほど凄まじいインフレ(ハイパーインフレ)が起こっていました。その原因は、戦争終結による生産力の低下です。終戦によって軍需産業がなくなったうえ、空襲などにより国内の工場や各種機械、船舶の多くが焼失したため、街は失業者で溢れかえります。
さらにあらゆる食料品や日用品が慢性的に不足しており、それらの国内需要が供給を大きく上回ったことで、急激に物価が上昇したのです。当時を生きた今の高齢者の方のなかには、このときの価格変動の衝撃を覚えている人もいるはずです。
そのインフレに輪を掛けたのが、戦後の財政悪化。日本が戦争に負けて失った金銭的な被害は、当時の値段で約650億円(現在の貨幣価値で約800兆円)とも言われており、戦後復興の資金は国債で調達されました。その際に日本銀行が大量に通貨を発行したことで日本円の価値が急激に下がり、モノの値段は相対的に上がります。そしてこのインフレを終息させるためのGHQによる施策が、先に挙げた「経済安定9原則」というわけです。
■「経済安定9原則」が高度経済成長の礎に
経済安定9原則は、下記のとおり。
① 予算の均衡(財政支出を引き締め、国家予算の歳入・歳出の均衡を図る)
② 徴税強化(徴税計画を強化し、脱税者には徹底的に刑事追及を行なう)
③ 資金貸出制限(経済復興に貢献する事業に限定して融資を行なう)
④ 賃金安定(労働者の賃金を安定させる)
⑤ 物価統制(物価を安定させる)
⑥ 貿易改善(外国貿易の統制を強化)
⑦ 物資割当改善(輸出貿易振興のために資材割当てをする、配給制度の効率化を行なうなど)
⑧ 増産(国産原料や工業製品の生産力を上げる)
⑨ 食糧集荷改善(食糧集荷の効率化を図る)
これらを徹底的に行なったことで、1949年度における国の財政は早くも黒字化に。高騰した物価もこの年の初頭をピークに下落し、安定するようになります。
そして日本政府は海外貿易を円滑に行なうためこの年の4月、「1ドル=360円」という単一為替レートを設定。アメリカの試算では「1ドル=330円」程度が実態に即した数字だったのですが、日本の輸出力を高めていち早く経済復興できるよう、より円安となる1ドル=360円となったのです。この日本経済に有利な為替レートは1968年まで続き、高度経済成長に大きく貢献しました。
このようにアメリカが日本復興を支えたのは、アメリカとソ連との間で冷戦が始まっていたことも大きく関係しています。占領下にある日本の復興を支えることで、対立するソ連を牽制する狙いがあったのです。
■国鉄三大ミステリー事件
この年の夏、のちに「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれる列車事故が相次ぎました。その3つは以下のとおり。
・7月6日「下山事件」 【常磐線】北千住~綾瀬駅間(東京都足立区)
国鉄総裁・下山定則(49歳)が出勤途中に失踪、翌朝に轢死体として発見される
・7月15日「三鷹事件」【中央本線】三鷹駅(東京都三鷹市)
午後8時半頃、無人列車が急に暴走して脱線。死者6人、負傷者20人を出した
・8月17日「松川事件」【東北本線】松川~金谷川駅間(福島県福島市)
意図的にレールが外され列車が脱線。死者3人を出した
いずれも未解決の事件ですが、一説によるとこの背景にあるのは、スーパーインフレを抑えるために行なわれた大規模な人員整理だといわれています。
この年、GHQによる「経済安定9原則」に基づいた緊縮財政が実施され、それに伴い公務員は約28万人、国鉄は約10万人の人員整理を迫られました。
そのなかで、「下山事件」で亡くなった国鉄総裁・下山氏は人員整理の担当者として労働組合との交渉を続け、事件前日の7月4日、最終的には3万人の従業員に対して解雇通告を行ないます。その直後の事件ですから、その解雇通告が事件の引き金になったことは間違いありません。
このことから、一連の3つの事件は人員整理に反対する国鉄職員の犯行とみて捜査が進められましたが、なかなか犯人の特定には至らず、最終的には「三鷹事件」のみ1名が有罪(死刑判決)に。しかしその犯人もアリバイがあったり供述が二転三転するなど、冤罪の疑惑が指摘されています。
いずれにせよ、この夏に起きた不可解な鉄道がらみの連続事件は大きな話題となりました。この事件を覚えている高齢者の方々も、きっと少なくないと思います。
■サンフランシスコ・シールズが来日
この年の10月、アメリカのプロ野球チーム「サンフランシスコ・シールズ」に所属する27名の選手が来日しました。主な目的は日米親善試合を行うためで、このチームを招聘したのはGHQ最高司令長官のマッカーサー。アメリカのプロ野球チームが来日するのは戦後初だけに、日本の野球ファンは大いに盛り上がります。
とはいえ、このチームはいわゆるメジャーリーグではなく、その傘下の3A(マイナーリーグ)に属する球団。当時は、どこのメジャー球団にも属さない独立したチームでした。
今の感覚だと、「二軍のチームが来るなんて舐められたものだ」と思うかもしれませんが、当時の日本のプロ野球レベルはアメリカのメジャーリーグとは雲泥の差。マイナーリーグの選手団とはいえ、東京と大阪で来日パレードが行なわれたり、東京・芝公園での歓迎会には約2万人の観衆が詰めかけるなど、シールズは当時の日本からVIP並みの熱烈な歓迎を受けたのです。
肝心の親善試合は後楽園球場、神宮球場、甲子園などで計7試合行なわれ、シールズが全勝。日本はプロ野球のオールスターチームで挑んで散々な結果に終わりましたが、一点差ゲームが2試合あるなど意地をみせました。なお、最終日にはエキシビジョンマッチとして六大学選抜チームが挑み、やはり延長戦の末に4-2で敗れています。
もしかすると今の高齢者のなかには、幼少期にこれらの試合を現地で生観戦した人もいるかもしれません。そのときの記憶もまた、自分史に書くべき内容と言えます。
〈1949年の流行歌〉
・銀座カンカン娘(歌:高峰秀子。同名の映画の主題歌として大ヒット)
・青い山脈(歌:藤山一郎/奈良光枝。1989年にNHKで放映された「昭和の歌・心に残る歌200」では一位を獲得)
〈1949年の世相語・流行語〉
・アジャパー(喜劇俳優・伴淳三郎による造語。驚きと困惑を表す)
・フジヤマのトビウオ(自由形で世界新記録を樹立し時の人となった水泳選手・古橋広之進のこと)
・竹馬経済(米国の援助と国内の補助金に頼る不安定な日本経済を指して)
・自転車操業(金融引き締めによる経済不況のなか、中小企業が生き延びる方策として生まれた言葉)
・ニコヨン(日雇い労働者を意味する俗語。当時の彼らの日給が240円だったことに由来)
・ヒロポン(覚醒剤の代名詞。当時は疲労回復効果が見込める嗜好品として広まっていたが、中毒性による悪影響が浮き彫りになりこの年に製造禁止に)
〈1949年に生まれた著名人〉
1月12日 村上春樹(小説家。1987年発表の「ノルウェイの森」がベストセラーとなり、村上春樹ブームに。その他の代表作は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」など。海外でも人気が高い)
1月28日 市村正親(俳優。埼玉県川越市出身。劇団四季の看板俳優として人気を博し、引退後はテレビや映画、舞台など活動の幅を広げる)
2月13日 南こうせつ(フォークシンガー。大分県大分市出身。フォークグループ「かぐや姫」時代の1973年にリリースした「神田川」が大ヒット。その他の代表作に「赤ちょうちん」「妹」など)
4月11日 武田鉄矢(俳優・歌手。福岡県福岡市出身。1972年、フォークグループ「海援隊」でデビュー。TVドラマ「3年B組金八先生」の主演、および主題歌の「贈る言葉」のヒットで一躍人気に)
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5月22日 大竹まこと(お笑いタレント・俳優。東京都目黒区出身。コントユニット「シティボーイズ」の一人として活動。近年は俳優のほか、数々のお笑い賞レースで審査員を務める)
6月5日 ガッツ石松(元プロボクサー。栃木県鹿沼市出身。アジア人で初めてWBC世界ライト級チャンピオンに輝く。引退後はタレント、俳優として活動)
6月7日 岸部四郎(タレント・俳優。京都府京都市出身。グループ・サウンズ「ザ・タイガース」のリズムギター担当として人気に。兄は俳優の岸部一徳)
7月20日 間寛平(お笑いタレント。高知県宿毛市出身。24歳で吉本新喜劇の座長に。持ちギャグは「ア〜メマ!」「かい〜の」など多数)
9月14日 矢沢永吉(ロックミュージシャン。広島県広島市出身。1972年にロックバンド「キャロル」を結成。自叙伝「成りあがり」がベストセラーに。ロックのカリスマとして熱狂的なファンも多い)
9月21日 松田優作(俳優。山口県下関市出身。1973年、刑事ドラマ「太陽にほえろ」にレギュラー出演して一躍人気に。後に音楽活動にも注力)
10月27日 堀内孝雄(歌手。大阪府大阪市。フォークグループ「アリス」でデビュー。ソロ活動としては「君のひとみは10000ボルト」が大ヒット)
11月19日 松崎しげる(歌手・タレント。東京都江戸川区出身。1977年、グリコアーモンドチョコのCMソング「愛のメモリーが大ヒット。肌の色が黒いことでもおなじみ)
11月27日 村田兆治(元プロ野球選手。広島県三原市出身。ロッテオリオンズのエース投手として活躍後は、NHK野球解説者、日刊スポーツ野球評論家に。ダイナミックな投法「マサカリ投法」でも知られる)
12月27日 テリー伊藤(テレビプロデューサー・タレント。テレビマンとして人気番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ねるとん紅鯨団」などをプロデュース。後に自らもタレントとして活動)