コラム
COLUMN
自分史の豆知識
2023/01/28
【1947年】自分史と関連付けて書きたい1947年の出来事
1947(昭和22)年に生まれた人は、今年(2023年)で76歳を迎えます。
■日本国憲法の施行
終戦から2年、GHQの指導のもと徐々に新しい日本が形作られていくなかで、大きなトピックとしてはこの年の5月に「日本国憲法」が施行されたことでしょうか。
この日本国憲法は、ポツダム宣言の第10項にあった「民主主義的傾向の復活強化」「言論・宗教・思想の自由ならびに基本的人権の尊重の確立」の規定に基づき改正されたもの。GHQと日本政府とで何度か擦り合わせたのち前年の1946年11月に公布され、この年の5月に施行されました。
なお、昨今では「日本国憲法第9条」における戦力の不保持や交戦権否認の解釈をめぐり論争が巻き起こっており、一部からは改憲を望む声もありますが、現時点ではこの憲法施行日から内容はいっさい変わっておらず、これは現行憲法としては世界で最も長いあいだ改正されていない憲法となっています。
・日本国憲法の三大原則
日本国憲法の三原則は、「国民主権」「平和主義(戦争放棄)」「基本的人権の尊重」。もちろんほとんどの人が知っていると思いますが、おさらいも兼ねて簡単に記してみます。
まずは「国民主権」についてですが、これは国の政治を最終的に決める権利は国民にあるということ。そのため、今は18歳以上のすべての国民に選挙権が与えられています。
日本国憲法が改正される前の「大日本帝国憲法(1899年発布)」では、逆に「天皇主権」が原則とされていました。しかし国の代表者が主権を持ってしまうと、権力者が国民の自由や権利を奪うことにもなりかねません。
実際、戦時中には軍部が天皇の絶対的な権力を利用することで、やむを得なかったこととは言え、結果的には徴兵や配給制度などにより国民の自由を奪ったのです。
というわけで、日常生活で〝国民に主権がある″ということを具体的に実感している人は少ないと思いますが、実は「国民主権」というのは、権力者の暴走を防ぐという点で大きく機能しています。
「平和主義(戦争放棄)」は、戦力を持たず戦争をしないということで、その意味は読んで字のごとく。これに関しては様々な意見や解釈があるので、ここでは触れないことにします。
では、最後の「基本的人権の尊重」とは何でしょうか。これは一口で言えば、人間らしく生きる権利のことです。この権利は大別して5つで、下記のとおり。
① 自由権(思想・信教・学問・表現・職業選択の自由など)
② 平等権(性別や人種、信条、社会的身分などにより差別的な扱いを受けない権利)
③ 社会権(健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利など)
④ 参政権(選挙権、被選挙権など政治に参加できる権利など)
⑤ 請求権(裁判を受ける権利など)
例えば生活保護の制度があるのは、まさにこの憲法による国民の権利に基づいてのもの。自己破産により借金を帳消しにできるのも③の社会権があるからで、これも立派な国民の権利として認められています。
特に最近は男女平等についてのジェンダー問題やルッキズムのタブー視などの考えから②の平等権が重視されつつあり、それと反比例するように①の自由権における思想の自由や表現の自由が軽視されているような傾向にあると思います。
さて、このような日本国憲法は自分史とは直接的には関係はありませんが、日本社会にはこうした大前提があり、自分がこのような権利を所持するなかで生きてきたということを改めて自覚することは、自分史を書くうえで多少なりとも意味はあると思います。
■第一次ベビーブーム
1947年から1949年にかけて巻き起こったのが、「第一ベビーブーム」です。この間に生まれた人々がいわゆる〝団塊世代″で、この3年のあいだに生まれた人の数は約800万人。いま自分史の執筆をしている方々の多くも、この世代に含まれているのではないでしょうか。
なお、令和になってからの出生数は令和元(2019)年が86 万 5234 人、令和2(2020)年が84万835人、令和3(2021)年が81万1604人。この3年間で約252万人が生まれたわけですが、第一次ベビーブームと比べるとその数は3分の1以下と、大幅に減少していることが分かります。まさにこの数字のゆがみが、超高齢社会の正体というわけです。
団塊世代の特徴は、戦後の日本の歩みとリンクしている点。自らの成長が戦後の高度経済成長と結びついており、まさに戦後の日本の躍進をけん引してきた世代とも言えます。
戦前からの古い価値観と、戦後に普及した新たな価値観が混在した世代とも言えるだけに、変わりゆく日本社会と自らの成長において変化してきた自身の価値観を、自分史に記してみるのも面白いと思います。
ちなみに〝団塊世代″というネーミングは、日本人の人口のグラフの形が由来になっています。出生数を棒グラフで並べてみると、この3年に生まれた人口数が突出しており一つの塊にみえることから、団塊世代と呼ばれるようになりました。
■大規模な学制改革
教育基本法と学校教育法が公布され、小学校が6年、中学校が3年、高校が3年、大学が4年という現行の「6・3・3・4」制が誕生したのもこの年です。
それまでの学制は小学校が6年、旧制中学校が5年、旧制高等学校が3年、帝国大学が3「6・5・3・3制」で、義務教育は小学校の6年間だけでした。
なお、この際の大規模な学制改革による混乱を緩和するため、この年から4年後の1950年頃まで旧制と新制の学校が混在していました。80歳を超える高齢者の方々の多くは、ちょうど学制改革時に学生時代を過ごしていると思いますから、そのなかで起こった印象的なエピソードもきっとあるのではないでしょうか。
また、学校での給食制度が再開したのもこの年です。当初はアメリカの援助団体から支給される脱脂粉乳やみそ汁などの副食のみの支給でしたが、食料事情の改善とともに子どもたちの栄養を考慮した献立にグレードアップしていったのは周知の事実です。
ただしこの年はまだまだ食料難の時代で、登校時の児童から弁当を奪う少年が激増したのが社会問題になります。東京地裁判事の山口氏が頑なに闇米を拒否し続け、配給食糧だけで生活していたら餓死してしまったというニュースが大々的に報じられたのもこの年でした。
ともあれ、小学校でのお昼の時間を楽しみにしていた人も多いでしょうから、当時の給食や持参した弁当にまつわる自分史のエピソードはきっと誰しもがあるはずです。
■社会の動き
ファッションでは、アメリカ文化の影響をもろに受けます。特に女性のファッションスタイルは、戦前の和服やモンペ姿から洋服に。手持ちのモンペを仕立て直して作る洋服(更生服)が流行った時期でもあります。男性であればアロハシャツやリーゼントヘア、進駐軍を想起させるサングラススタイルといった若者が、繁華街を中心に目立ち始めた時期でもありました。
とはいえ戦後混乱期でまだまだ生活困難者も多く、街は浮浪者で溢れかえります。戦争で夫や財産を失った女性が生活に困窮し、やむなく外国人相手に売春をするといったケースも目立ちました。
経済に目を向けてみると、この年あたりからモータリゼーション社会の到来に備えて車やバイクの生産が活発化。トヨタ自動車の「トヨペットSA型」、日産自動車の「ダットサン・スタンダード・セダン」、三菱重工のスクーター「シルバーピジョン」など、のちに大ヒットとなる車種の生産がこの年から始まっています。
<1947年の流行語>
・裏口営業(食糧難の経済統制下につき飲食営業緊急措置令が出たが、休業を装い非合法の営業を続ける店も少なくなかったことから)
・青空教室(屋外での授業のこと。この年に学制改革が行われたが、校舎が焼失しておりやむを得ず屋外で授業せざるを得ないことも)
・アプレ族(進駐軍のアメリカンスタイルを真似した若者のこと)
・集団見合い(戦争で夫を亡くした女性や戦地から帰ってきた独身男性による、数百人規模の見合いイベントが全国各地で開催された)
・タケノコ生活(生活苦で持ち物を少しずつ売って生活費にする様が、タケノコの皮を剥ぐようであることから)
<1947年の流行歌>
・東京ブギウギ(歌・笠置シヅ子。1947年12月公開の日本映画「春の饗宴」劇中歌として用いられ、大ヒットに)
・夜霧のブルース(ディック・ミネの曲。松竹映画「地獄の顔」の主題歌。のちに石原裕次郎がカバー)
・港が見える丘(平野愛子の曲。美空ひばりや氷川きよしなど後に多くのアーティストがカバー)
<1947年生まれの著名人>
1月18日 衣笠祥雄 (元プロ野球選手。京都府京都市出身。広島カープ一筋で1987年に連続試合出場記録の日本記録を樹立、同年に国民栄誉賞を受賞。愛称は「鉄人」。)
1月18日 ビートたけし(漫才師・タレント・映画監督。東京都足立区出身。漫才コンビ「ツービート」で人気に。長きにわたり数々のバラエティ番組で活躍する傍ら、映画監督としても高い評価を得ている)
1月21日 高田純次(コメディアン・俳優。東京都調布市出身。〝テキトー男″のキャラクターでバラエティやドラマなど幅広く活動。愛称は「ミスター無責任」)
1月22日 星野仙一(元プロ野球選手・監督。岡山県倉敷市出身。中日ドラゴンズのエースとして活動後、同チームの監督に。就任2年目の1988年にリーグ優勝を果たす。後に阪神、楽天でも監督を務めチームを優勝に導く。愛称は「燃える男」)
1月24日 尾崎将司(プロゴルファー。徳島県海部郡出身。通算優勝回数113回の世界プロツアー最多記録を持つ。別名「ジャンボ尾崎」)
2月5日 西郷輝彦(歌手・俳優。鹿児島県鹿児島市出身。橋幸夫、舟木一夫と共に昭和歌謡の「御三家」の1人として知られる。芸名は幕末の政治家・西郷隆盛から)
2月11日 鳩山由紀夫(政治家。東京都文京区出身。東大工学部、スタンフォード大学を経て政界入り。2009年9月~2010年6月まで、民主党の代表として内閣総理大臣を務める)
4月8日 千昌夫(演歌歌手。岩手県陸前高田市出身。1977年に発表した「北国の春」が大ヒット。バブル期には不動産業にも着手するも、バブル崩壊とともに多額の借金を抱えて民事再生法を適用)
4月17日 若松勉(元プロ野球選手・監督。北海道留萌市出身。「ミスタースワローズ」として長きにわたり活躍。引退後もヤクルトスワローズ一筋でコーチなどを務め、2001年には監督としてリーグ優勝を果たす。異名は「小さな大打者」)
5月18日 寺尾聰(ミュージシャン・俳優。神奈川県横浜市出身。音楽活動の傍ら、石原軍団の一員として刑事ドラマに出演。1981年には「ルビーの指環」が大ヒットに)
5月25日 小倉智昭(フリーアナウンサー、タレント。秋田県出身。テレビ東京のアナウンサーを経て29歳でフリーに。その後、ラジオパーソナリティや情報番組の司会として活躍)
6月16日 武論尊(漫画原作者。長野県佐久市出身。15歳で自衛隊に入隊後、22歳で漫画原作者の道へ。代表作は「北斗の拳」「ドーベルマン刑事」など)
6月25日 本宮ひろ志(漫画家。千葉県千葉市出身。代表作は「男一匹ガキ大将」「俺の空」「サラリーマン金太郎」「天地を喰らう」など。創刊初期の週刊少年ジャンプを支えた一人)
7月19日 安岡力也(俳優・ロック歌手。宮城県仙台市出身。父がイタリア人のハーフ。俳優、バンド活動の傍ら、プロのキックボクサーだった時期も。晩年はバラエティ番組でも活躍)
7月22日 江本孟紀(元プロ野球選手。高知県高知市出身。南海ホークス、阪神タイガースで投手として活躍後、野球評論家に。引退翌年の1982年に出版した「プロ野球を10倍楽しく見る方法」が300万部を売り上げるベストセラーに。後にタレント活動を経て政界にも進出)
8月21日 稲川淳二(俳優・怪談家。東京都渋谷区出身。お笑いタレントとしてリアクション芸やテレビリポーターなどで活動後、ラジオ放送での怪談話が好評を博し霊感タレントに)
9月9日 弘兼憲史(漫画家。山口県岩国市出身。松下電器産業で3年間サラリーマンを経験したのち漫画家に。代表作は「課長島耕作」シリーズ、「人間交差点」「黄昏流星群」など多数)
9月11日 泉ピン子(女優・タレント。東京都中央区出身。歌謡漫談師としてデビューし、下積みを経て女優業に進出。TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」など、橋田壽賀子作品に数多く出演)
9月17日 ちあきなおみ(歌手。東京都板橋区出身。21歳のとき「雨に濡れた慕情」で歌手デビュー。物まねタレント・コロッケがヒット曲「喝采」を真似たことでも知られる)
9月20日 小田和正(シンガーソングライター。神奈川県横浜市出身。1972年に音楽バンド・オフコースを結成、次々とヒット曲を生み出す。代表曲は「さよなら」「愛を止めないで」「ラブ・ストーリーは突然に」など)
9月28日 鈴木啓示(元プロ野球選手・監督。兵庫県西脇市出身。近鉄バッファローズの投手として日本プロ野球歴代4位となる317勝を記録。座右の銘は「草魂」)
10月21日 蛭子能収(漫画家・タレント。熊本県天草市出身。特異な作風で元祖ヘタウマ漫画家としての地位を確立。その後、タレント業にも進出)
11月4日 西田敏行(俳優・歌手。福島県郡山市出身。愛嬌のある体系や顔立ちで人気を集め、数々のドラマや映画に出演。歌手としては1981年に発売した「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒット)
11月7日 福本豊(元プロ野球選手。大阪府大阪市出身。20年間にわたり阪急ブレーブスに在籍し、主に1番バッターとして活躍。通算1065盗塁とシーズン106盗塁は日本記録。異名は「世界の盗塁王」)
11月18日 森進一(歌手。山梨県甲府市出身。「NHK紅白歌合戦」には1968年から2015年まで48年連続で出場。長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリスト・TAKA)