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自分史の豆知識

2022/12/28

【1943年】自分史と関連付けて書きたい1943年の出来事

【1943年】自分史と関連付けて書きたい1943年の出来事

1943(昭和18)年に生まれた人は、今年(2022年)で79歳を迎えます。


■国民総生産はアメリカの1/4


太平洋戦争が始まってから約1年が過ぎ、迎えた1943年。日本はハワイ西方沖のミッドウェー海戦で大敗を喫して制空権を奪われて以降、どの戦場でも劣勢を強いられるようになります。
真珠湾攻撃の奇襲が決まって日本軍優勢かと思われたのもつかの間、そもそも日米には航空機や戦車といった各種兵器の生産力に圧倒的な差があり、物資に乏しい日本はじり貧状態に。逆にアメリカは豊富な資源を惜しみなくつぎ込み大工場で戦闘機を大量生産するなどして、とにかく物量で日本軍をねじ伏せようとしていたのです。

 

実際、開戦時の1941年時の国内総生産(GDP)の数字をみると、アメリカは日本の約4倍の数値。この両国が普通に戦ったならば、どちらが勝つかは火を見るより明らかです。
もちろん日本は真っ向勝負では勝ち目がないと分かっており、だからこそアメリカの戦意喪失を狙うべく真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けました。しかしその目論見どおりにはいかず、むしろ大国・アメリカを激怒させてしまう結果に。そして、そのしっぺ返しが何十倍にもなって返ってきたというのは周知の事実です。

 

 

■空母の代わりとなる島


前年の1942年8月に始まり、この年の2月に日本が敗れた「ガダルカナル島の戦い」は、ミッドウェー海戦と共に、日本が劣勢に転じたターニングポイントとしての戦いとして知られています。

ガダルカナル島はオーストラリアの北東に位置する、千葉県ほどの面積を持つ島。日本は開戦3か月にしてフィリピン(アメリカの植民地)、シンガポール(イギリスの植民地)、インドネシア(オランダの植民地)といった東南アジアの国々を占領したのですが、そのすぐ南には敵国であるオーストラリア軍が控えており、これが日本軍にとって目障りな存在でした。

 

しかし、そのオーストラリア軍に対抗するために必要だった空母は、ミッドウェー海戦で4隻も撃沈されてしまった。そこで日本軍はオーストラリアの近くに航空基地を作る必要に迫られるのですが、そのさいに白羽の矢が立ったのが、東京から約6000km離れた孤島・ガダルカナル島だったのです。

 

 

■痛手となったガダルカナル島での攻防


こうして日本軍は1942年8月、わずかに原住民が住むだけのガダルカナル島に約1000名の工兵を送り込み、突貫工事で飛行場を建設します。しかしそのたった2日後、アメリカ軍は8000名ほどの戦力を動員し、あっさりこの飛行場を日本軍から奪い取ったのでした。

 

もちろん日本軍もすぐさま反撃に出るのですが、アメリカ軍の圧倒的な戦力の前になすすべもなく、じわじわと戦力が消耗していきます。
当初はパプアニューギニアのラバウルにあった日本の海軍基地から食料や弾薬が送られていたのですが、時間が経つにつれガダルカナル島におけるアメリカ軍の迎撃が威力を増し、補給もままならないことに。こうして食料が尽きて餓死した日本兵が圧倒的に多かったことから、後にガダルカナル島は「餓(ガ)島」と称されるようになりました。

 

結局、半年にわたるガダルカナルの戦いに動員された日本軍は約30000名。このうち無事に撤退できたのが約10000名、戦闘での死者が5000名、残りは餓死やマラリアなどの病気による戦病死でした。
太平洋戦争全体でみても、ガダルカナル島をめぐる争いで大量の輸送船や駆逐艦、航空機を失ったことは、日本軍にとって大きな痛手でした。特に航空機の損害はミッドウェー海戦の約3倍。経験豊富なパイロットを多く失ったことは、戦艦よりも航空機が主役となった太平洋戦争において致命的だったのです。

 

 

■秋雨のなかでの学徒出陣


ガダルカナル島の消耗戦で多くの貴重な戦力を失った日本軍が、兵力不足を補うために目を付けたのが20歳以上の大学生です。それまで、26歳までの大学生に認められていた徴兵猶予を、文系学生にかぎって停止したのです。これがいわゆる「学徒出陣」で、この年の10月21日、明治神宮外苑競技場(旧・国立競技場)で出陣学徒壮行会が行なわれました。
秋雨のなか、観客席の多くの女学生に見守られながら小銃を携えた学生たちが行進する映像を、TVのドキュメンタリー番組やネットの動画などで観たことがあるという人も多いと思います。

 

壮行会を終えた学生たちは徴兵検査を経て、12月に陸軍/海軍のいずれかに配属されました。入営時に幹部候補生試験を受け、一兵卒でなく将校や下士官として戦地に向かった学生が多かったものの、その後のさらなる戦況の悪化により激戦地に送られたり、体当たり攻撃とも呼ばれた「特攻隊」に配属された学徒兵も少なくなかったそうです。

 

 

■動物園の動物が殺処分に


戦況の悪化につれ、国民生活もより息苦しいものになっていきます。配給米は白米から五分づき米(玄米と白米の中間)になり、次第にそれも貴重品となって、例えば小学生が学校に持参する弁当はサツマイモやジャガイモといった代用食が主流になります。また、この時期から縁故による学童疎開が促進されるようになりました。今の80歳以上の方なら、きっと学童疎開の経験者も多いと思います。

 

さらに鉄や木などの資材不足は深刻で、なりふり構わずその回収作業が行なわれました。それまで守られていた銀座の街路灯が撤去され、さらに成田山新勝寺の境内にあった巨木までも船材として供出されたほどです。

 

また、この年に始まったのが戦時猛獣処分です。空襲時に動物が動物園から脱走して人間に危害を加えないよう、危険とみなされた猛獣はことごとく殺処分されたのです。例えば上野動物園ではゾウやライオン、トラ、クマ、ヒョウ、毒蛇など14種27頭が処分されています。この出来事を題材にした絵本「かわいそうなぞう」を、幼少期に読んだことがある人も多いのではないでしょうか。

 

 

■自然発生的に生まれた敵性語の排斥


この時期になると、敵国・アメリカの英語を排斥する活動が活発になります。ただしこれは法律で禁止されたわけではなく、民間団体や地域団体などから自然発生的に生まれたものなので、全国で徹底されていたわけではありません。例えば「ニュース」「シャツ」など、日常的な英語は普通に使われていたようです。

それでも、特にスポーツの分野では敵性語への意識が高く、

 

・「サッカー」→「蹴球(しゅうきゅう)」
・「ラグビー」→「闘球(とうきゅう)」
・「ゴルフ」→「打球(だきゅう)」
・「アメリカンフットボール」→「鎧球(がいきゅう)」
・「スキー」→「雪滑(ゆきすべり)」

 

といったように呼称の変更が徹底されました。また、街の飲食店でも下記のように表記が変わります。

 

「カレーライス」→「辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)」
「フライ」→「洋天(ようてん)」
「コロッケ」→「油揚肉饅頭(あぶらあげにくまんじゅう)」
「ドーナツ」→「砂糖天麩羅」(さとうてんぷら)
「ビール」→「麦酒(ばくしゅ)」

 

これ以外にも、企業名やブランド名、雑誌名、学校名、楽器名、動物、植物など、様々な分野でカタカナ表記が漢字表記に変換されました。こうして当時の日本人は街から英米色をなくすことで、戦意高揚につなげたのです。今の高齢者の方々であれば、敵性語にまつわる話を親から聞かされたこともあるのではないでしょうか。

 

 


〈1943年生まれの著名人〉

1月1日 尾崎紀世彦(歌手。東京都渋谷区出身。「ザ・ワンダース」などいくつかのバンド活動を経て、27歳でソロ活動を開始。代表曲は「また逢う日まで」など)
2月13日 森本レオ(俳優・ナレーター。愛知県名古屋市出身。TVドラマ「ショムニ」「王様のレストラン」などで活躍)
3月1日 加藤茶(コメディアン。東京都世田谷区出身。「ザ・ドリフターズ」に加入後、「加トちゃんペ」のギャグで一世を風靡。「8時だョ!全員集合」でも様々な一発芸で人気者に)
3月8日 はらたいら(漫画家・タレント。数多くの新聞漫画を手掛ける傍ら、TBS系列のクイズ番組「クイズダービー」の回答者としても活躍)
4月21日 輪島功一(元プロボクサー。樺太出身。プロボクサーとして世界スーパーウェルター級王座を3度獲得。現役引退後はスポーツジムの運営や、団子店「だんごの輪島」を経営)
5月3日 橋幸夫(歌手。東京都荒川区出身。吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒット。昭和歌謡界・御三家の一人)
7月13日 関口宏(タレント・司会者。東京都港区出身。フジテレビ系列のトーク番組「スター千一夜」、TBS系列のクイズ番組「クイズ100人に聞きました」など、人気番組の司会者として活動)
8月1日 田村正和(俳優。京都府京都市出身。NHKの数々の大河ドラマに出演後、ホームドラマの主演でブレイク。刑事ドラマ「古畑任三郎」の主役としてもおなじみ)
10月1日 うつみ宮土理(女優。東京都世田谷区出身。子供向け番組「ロンパールーム」の2代目お姉さんとしてタレントデビュー。夫は俳優の愛川欽也。愛称は「ケロンパ」)
12月11日 加賀まりこ(女優。東京都千代田区出身。小悪魔的なルックスと高い演技力で人気女優に)

 

 

 

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