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自分史の豆知識

2022/12/24

【1942年】自分史と関連付けて書きたい1942年の出来事

【1942年】自分史と関連付けて書きたい1942年の出来事

1942(昭和17)年に生まれた人は、今年(2022年)で80歳を迎えます。

 

 

■初の大敗を喫したミッドウェー海戦


太平洋戦争が始まり、そのわずか3週間後に迎えたのが1942年です。真珠湾攻撃における目覚しい戦果報告や直後のフィリピン・マニラの占領、2月にはシンガポールのイギリス軍を降伏させるなど、この年が始まった当初の日本は戦勝ムードに湧いていました。しかし6月上旬のミッドウェー海戦(太平洋上のアメリカ合衆国領ミッドウェー島付近で行なわれた戦い)でアメリカ軍に大敗を喫して以降、にわかに暗雲が立ち込めます。

 

とはいえ日本に住む一般国民からしてみると、遥か遠い小さな島で行なわれた一つの戦いにたまたま負けたくらいの認識で、さらに国民の士気を下げないようにと軍部から通達されていた新聞やラジオなどのメディアはまだまだ日本軍優勢と報道していたこともあり、国内の人々にさほど危機感はありませんでした。

 

しかしミッドウェー海戦で日本は空母4隻、航空機を約300機失うという大損害を受け、この戦い以降、太平洋の島々での戦いの主導権を全てアメリカに握られることに。実はミッドウェー海戦は、日米の攻守におけるターニングポイントでもあったのです。
主な敗因は、情報収集に対する意識の差。開戦以降、アジアへの進軍も含めて快進撃を続ける日本が過去の成功例や希望的観測、精神論に基づいた戦略で臨んだ一方で、アメリカは日本軍の通信傍受に全力を注いだことにより、日本軍に効果的な攻撃を仕掛けることができたのでした。

 

 

■本土初空襲


実はこのミッドウェー海戦が行なわれた2か月ほど前、日本はアメリカの爆撃機による本土初空襲(ドゥーリットル空襲)を受けています。前年12月の真珠湾攻撃で相当な痛手を被ったアメリカは、その仕返しのチャンスを虎視眈々と狙っていました。


そして4月18日朝、太平洋上にいた米空母・ホーネットから16機の爆撃機が飛び立ち、東京や横浜、横須賀、名古屋、神戸など主要な都市に爆弾を投下します。これにより87人が亡くなり、500人以上が負傷。太平洋戦争全体の日本人犠牲者は約310万人(軍人230万人、民間人80万人)なので、この数字だけみればこの空襲による被害は軽かったと感じるかもしれませんが、日本からしてみれば戦争で本土を襲撃されたのが初めての経験だったので、そのインパクトは絶大でした。

 

とはいえアメリカも制空権がないなかでのギリギリの攻撃で、この年に限って言えば本土空襲はこのときだけだったので、まだまだ国内には楽観ムードが漂っていたのも事実です。
ただ、このとき戦争のリアルを知った人々はこぞって、伊勢神宮などの有名な神社で戦勝祈願をしたそうです。

 

 

■大日本婦人会の発足


この年の2月、大政翼賛会(戦時に対応した官民統合団体)の下部組織として大日本婦人会が発足。それまでにあった婦人団体を統合し、軍部や政府の指導下に置くことで国家総力戦体制を本格化させたのです。主な活動内容として「国防思想ノ普及」「家庭生活ノ整備刷新」「国防ニ必要ナル訓練」など、戦時に備えた日々の様々な取り組みが掲げられました。


対象は、未婚で20歳未満を除くすべての女性。戦争勝利に向けた国家奉仕を目的とし、軍需工場での勤務や兵士の送迎といった後方支援、いわゆる銃後活動に多くの女性が携わりました。
ですから、おそらくいまの高齢者の母親も当時、何かしらの銃後活動をしたのではないかと思います。その際の印象的なエピソードを、母や祖母から聞かされたことがあるかもしれません。

 

なお、この大日本婦人会は戦争末期の1945年に国民義勇隊女子隊と改組され、終戦とともに解散しますが、戦地に行った男性の代わりに国内の様々な職場で女性が活躍したことから、この組織は女性の社会進出の礎となったとも言われています。

 

 

■「欲しがりません、勝つまでは」


戦争が本格化したことにより、街の様子や人々の生活も変化します。戦時生活における心構えを端的に示す最も有名なスローガン「欲しがりません 勝つまでは」からも分かるとおり、国民は不自由な生活を余儀なくされました。


お菓子や砂糖、酒やタバコといった嗜好品の販売は極端に制限され、なかでもマヨネーズやチョコレートは製造禁止に。食料や衣服、燃料といった生活必需品は配給制となり、必要最低限のもののみ政府から支給される状態だったのです。塩や味噌、醤油といった調味料まで、細かく配給されていました。

 

また、当時の人々がいかに制限されていたかリアルに感じられるものとして、食器用洗剤の例が分かりやすいと思います。何もかもが配給制度となり、食器用洗剤が市場に出回らなくなったことを受け、その代わりに米のとぎ汁や大豆の煮汁、砕いた卵の殻などが代用洗剤として使われていました。このような制限された生活で生み出されたのが、いわゆる〝おばあちゃんの知恵袋″です。そしてこうした生活の変化や工夫もまた、自分史に記すべき内容ではないかと思います。

 

 

 

〈1942年の新語・流行語〉

・大本営発表(軍部が国民に向けて発表した戦況の情報。末期には戦況悪化を伝えず、むしろ優勢であるかのように発表された)
・欲しがりません勝つまでは(新聞社が募集した国民決意の標語。32万以上集まった作品のなかから、11歳の少女が応募したこの標語が選ばれた)

 


〈1942年生まれの著名人〉

1月8日 角川春樹(実業家・映画監督。東京都杉並区出身。父は角川書店創業者の角川源義。映画と書籍を同時に売り出すメディアミックスの手法をいち早く導入)
1月8日 小泉純一郎(政治家。神奈川県横須賀市出身。2001年4月~2006年9月まで内閣総理大臣を務める。「聖域なき構造改革」をスローガンに郵政民営化を実現。ニックネームは「変人」)
1月28日 福留功男(フリーアナウンサー・司会者。高知県香美市出身。日本テレビに入社、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の司会で一躍人気に)
3月20日 上岡龍太郎(漫才師・タレント。京都府京都市出身。横山ノックらとのトリオ芸人「漫才トリオ」を経て、後に「探偵!ナイトスクープ」「鶴瓶上岡パペポTV」などの司会者として活躍)
5月24日 小沢一郎(政治家。東京都台東区出身。自民党を新生党、新進党、民主党、国民の生活が第一など党首も含め数々の党を経験。現在は立憲民主党に所属)
7月23日 松方弘樹(俳優。東京都北区出身。数々の時代劇やヤクザ映画に出演して頭角を現す。その後にバラエティ番組にも進出)
8月11日 中尾彬(俳優・タレント。千葉県木更津市出身。多数のテレビドラマに出演し人気に。トレードマークは首元からぐるぐると巻き下ろしたマフラー。妻は池波志乃)
8月31日 青木功(プロゴルファー。千葉県我孫子市出身。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位。日本を代表する名ゴルファーの一人)
10月12日 中山律子(元プロボウリング選手。群馬県吾妻郡出身。女子プロボウラー時代、女子プロ月例会の優勝決定戦でパーフェクトゲームを達成して注目を浴び、「さわやか律子さん」の愛称で親しまれる)

 

 

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