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自分史の豆知識

2022/12/02

【1940年】自分史と関連付けて書きたい1940年の出来事 

【1940年】自分史と関連付けて書きたい1940年の出来事 

1940(昭和15)年に生まれた人は、今年(2022年)で82歳を迎えます。

 

1940年は、日本が4年半に及ぶ太平洋戦争に突入する前の年。ということで、国内でも特に様々な動きがありました。なかでも大きな出来事と言えるのは、日本がアジア諸国やアメリカと戦争する下地ともなった「日独伊三国同盟」です。

日独伊三国同盟は、日本・ドイツ・イタリアによる軍事同盟のこと。これらを枢軸国といい、対する連合国はアメリカ・イギリス・フランス・ソ連などで構成され、第二次世界大戦では主にこの「枢軸国」と「連合国」を中心に争われることになります。

 

 

■日独伊三国同盟の背景


日本は関東大震災や昭和恐慌によって甚大な経済的ダメージを被ったことで、経済を立て直すための活路を見出すべく中国へ進出します。その結果として1932年、中国の東北部に「満州国」という傀儡国家を設立しました。

 

翌1933年には国際連盟を脱退するなど日本は独自路線を歩み始めるのですが、その行動を苦々しく見ていたアメリカとイギリスは、日本に対して経済制裁(輸出入の制限・禁止など)を行ないます。日本は石油や鉄鋼など戦争に必要な資源をほぼアメリカから輸入していたので、それが止められるとなると戦争どころの騒ぎではありません。

 

そこで、世界から孤立しつつあった日本が頼ったのがヒトラー率いるドイツと、ムッソリーニ率いるイタリアでした。この2国はもともと共産主義のソ連に対抗するための同盟を結んでおり、日本からすると中国に侵略戦争を仕掛けている以上、そこに隣接するソ連の存在は脅威でしかありません。そこで、ソ連と対立するイタリア、ドイツと手を組んだのでした。ドイツとイタリアからしても、ソ連を牽制するうえで極東の日本と組むことは大きなメリットです。そしてこの年の9月27日、日独伊三国軍事同盟が結ばれます。

 

この同盟締結を受け、国内ではにわかにドイツブームが沸き起こります。街ではドイツ軍関連の書籍やグッズが並べられたり、赤地の中央に卍が描かれたハーケンクロイツの旗が掲げられたりしました。今の高齢者の方のなかには、日本人がドイツを歓迎したこのような当時の光景を覚えている人もいるかもしれません。

 


■戦争に向けた新たな組織「大政翼賛会」の発足


またこの年の10月、「大政翼賛会」が発足しました。この会は一口に言うと、日本のすべての政党を解散して新たに誕生した結社のことです。
この頃は、戦争によって領土を拡大したい軍部と、世界各国との良好な関係を構築したい内閣がお互い真逆のほうを向いていたのですが、陸軍将校による首相暗殺のクーデターや、近年の戦争で負け知らずであるがゆえに戦争に好意的な人も多かった国民の意向などもあって、この年の7月、時の米内内閣が総辞職に追い込まれてしまいます。

 

これを受けて発足したのが、貴族政治家の近衛文麿が首相を務める第二次近衛内閣です。そして、そのなかで生まれたのが「大政翼賛会」で、主な目的はヒトラー率いるドイツで行なわれていた全体主義(ナチズム)を日本でも推進すること。一党独裁のドイツが欧州戦線で目覚ましい戦果を挙げていたいたので、それに習おうと考えたのです。万人に国家への忠誠を誓わせ、来たるべき大戦に備えて国民が一致団結すれば勝てるのではないかと。

 

こうして、当時の与党だった立憲政友会や野党筆頭の立憲民政党(共に自民党の系譜)など、全ての党が大政翼賛会に合流しました。いまで言えば、自民党をはじめ立憲民主党、公明党、日本共産党、日本維新の会、れいわ新選組、社会民主党、NHK党といった全ての政党が一つになり、一党独裁で国をまとめていこうという図式です。逆に言えばこうして政党同士で一枚岩にならなければ、他国からの脅威に立ち向かえないと考えていたということでしょう。

 

 

■本土決戦に備えて


しかし急ごしらえの一党独裁では、なかなか一致団結できません。一党独裁のリーダーは内閣総理大臣ということになりますが、なかには天皇陛下が日本国のリーダーであるはずだといったように、大政翼賛会のなかでも反対意見が飛び出します。ただ、総理大臣の近衛文麿は「国民を軍の方針に従わせることができればリーダーは誰でもいい」と発言しており、実は危うい組織だったことが分かります。


国民を従わせるために手っ取り早いのは、国の決定事項を天皇陛下の言葉として広く伝えること。このような考えのもと、天皇陛下は神格化されていったのでした。終戦直後、天皇陛下がわざわざ「人間宣言」を発布しましたが、このことからもいかに天皇陛下が国民からあがめられていたかが分かります。

 

大政翼賛会は結局、終戦間際に国民義勇隊(本土決戦に備える防衛組織)の一部となり、終戦後は解散となりました。ちなみに、この国民義勇隊の発足に伴い1945年6月に公布・施行された「義勇兵役法」は、〝一億玉砕″のスローガンのもと本土決戦に備えて、男性は14歳~60歳、女性は17歳~40歳(妊産婦は除外)の国民を戦闘員として招集できるという法律。実際には輸送や救護といった後方支援の要員として考えられていましたが、それでも各地域の広場に集められた老若男女の義勇軍は、竹槍や木銃などの武器をもって戦闘の訓練を行ないました。
いまの高齢者のなかには、この訓練に参加した、あるいは家族が訓練する様子を見た、話を聞いたという人もいるはずです。

 

 

■社会に走る緊張感


この年の文化としても、やはり目前に迫った戦争の影響をもろに受けています。前年には街や各家庭から鉄が集められ、物資は配給に。音階の「ドレミファ」は「ハニホヘ」に代わり、メディアの王様だった映画の専門誌「キネマ旬報」が休刊になり、外国のニュース映画も上映禁止となりました。

 

また、この年の流行歌は海軍の軍歌「月月火水木金金」。これは土日返上で働くという意味をあらわした歌で、まさに国民が一丸となって戦争に備えるという当時のピリついた雰囲気が伝わります。

 

 

 

 

〈1940年に生まれた有名人〉


1月1日 加藤一二三(将棋棋士。福岡県嘉麻市出身。早指しを得意とし、「1分将棋の神様」の異名を持つ。愛称は「ひふみん」)
1月21日 竜雷太(俳優。大阪府箕面市出身。「太陽にほえろ!」の刑事役として人気を博す。その後も役者一筋で多数のテレビドラマ、映画に出演)
3月25日 志茂田景樹(作家・タレント。静岡県伊東市出身。1980年に「黄色い牙」で直木賞を受賞。奇抜なファッションやヘアスタイルが注目を集めタレントとしても活動)
3月31日 板東英二(元プロ野球選手・タレント。満州国出身。中日ドラゴンズの投手として活躍後、タレントとして芸能活動に勤しむ。事業家としての一面も)
5月13日 円谷幸吉(陸上選手。福島県須賀市出身。陸上自衛隊在籍時に長距離走者として頭角を現す。1964年の東京オリンピックではマラソンで銅メダルを獲得)
5月28日 筒美京平(作曲家。東京都新宿区出身。代表作は「また逢う日まで(尾崎紀世彦)」、「ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)」「木綿のハンカチーフ(太田裕美)」「魅せられて(ジュディ・オング)」など)
5月29日 大鵬幸喜(元大相撲力士。北海道川上郡出身。48代横綱としてライバルの柏戸関と共に「柏鵬(はくほう)時代」を築く。昭和30年代には子どもたちが好きなものを指す「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語に)
6月19日 張本勲(元プロ野球選手。広島県広島市出身。日本ハム、巨人などで活躍。通算安打の日本記録保持者。晩年はスポーツ番組のご意見番として人気に)
7月2日 浅丘ルリ子(女優。満州国出身。日活の看板女優として数々の映画に主演。1971年に石坂浩二と結婚するも、2000年に離婚)
9月20日 麻生太郎(政治家。福岡県飯塚市出身。2008年9月~2009年9月まで内閣総理大臣を務める。1976年のモントリオールオリンピックでクレー射撃の日本代表選手として出場経験も)
12月3日 篠山紀信(写真家。東京都新宿出身。作品数の多さやジャンルの多様さに定評がある。宮沢りえのヌード写真集「Santa Fe」はベストセラーに)

 

 

 

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