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自分史の豆知識

2022/11/18

【1938年】自分史と関連付けて書きたい1938年の出来事

【1938年】自分史と関連付けて書きたい1938年の出来事

1938(昭和13)年に生まれた人は、今年(2022年)で84歳を迎えます。

 

■「国家総動員法」の制定


この年のトピックは、なんといっても5月に施行された「国家総動員法」でしょう。これは一口に言うと、「議会の承認を得ずに戦争のための物資徴収や労働力の動員を行なえる」という法律。長期化の様相を呈してきた日中戦争、またいずれ行なわれるかもしれない欧米との戦争に備えるためで、結果的にはこの法律が大戦時の日本の国家を挙げた総力戦の礎となりました。軍部が本人の意志とは関係なく赤紙によって多くの若者を徴兵できたのも、この法があったからです。
こうして国民の自由や議会の権限を奪い、異常なまでの言論弾圧を招いた「国家総動員法」は、戦時下における日本人の苦しみを象徴とする法律として認識されています。この法律は戦況のひっ迫により徐々にエスカレート、終戦の1945年までに約616万人が労働力として動員されました。

 

 

■規制される国民生活


「国家総動員法」の制定と共に、国民の生活は色々と規制されていきます。国民生活はほとんどの場合で軍需が優先され、例えば鉄鋼や銅、鉛、ゴムといった資材は全て船舶や戦闘機、各種武器などの製造に回されて民間での使用は禁止。鍋は陶器、スプーンは竹、バケツは木が変わりの素材として用いられ、ブリキ玩具は製造禁止となり、次第には国民に対して米や衣類など生きていくために必要最低限のものを〝配給″という形で支給されるのみ、という状況にまでなったのです。
また、これに付随して同年に「灯火管制」が公布。これは戦時において電灯やロウソクといった照明の使用を規制することで、敵の夜間砲撃や夜襲を防ぐことを目的としたもの。この法案により、一般家庭には黒塗りの電球が配給されました。

 

■情報操作


制限や規制に関して触れると、3年後の1941年には「新聞紙等掲載制限令」が発令。これは軍部の機密事項や外交について、新聞や雑誌などの出版物に掲載することを禁止したものです。この法律により、軍部にとって都合の悪い情報が表に出なくなった結果、太平洋戦争の中終盤で海外の戦況が悪化しつつあるなかでも、国民は日本優勢と信じ込まされていきます。要するに国ぐるみで、とんでもない情報操作が行なわれていたのです。幼いながらにこうした息苦しさや社会の不自然さを、戦時中や終戦直後に感じた人も多いのではないでしょうか。このときの率直な気持ちなどは、まさに自分史に書くべき内容と言えます。

 

 

■原点は1918年の「軍需工業動員法」


もともとは「国家総動員法」に似た法律として、第一次世界大戦末期の1918年に施行された「軍需工業動員法」がありました。これは無理やり必要物資や人員を徴発するというわけでなく、「戦時に備えて政府が必要物資を管理する」というニュアンスのもので、その後の世界的な軍縮の流れや日本の不況によって1922年に廃止されています。しかし中国との開戦で軍部の発言権が高まるなか、軍需工業動員法が強化されて強制力が増したような「国家総動員法」が制定されたのです。

 

 

■東京オリンピック開催を撤回


こうして国家を挙げて戦争に備えるなか、1938年の社会の残念な出来事として、2年後の1940年に開催が決まっていた東京オリンピックが中止になったことが挙げられます。
もともと1940年は初代天皇・神武天皇の即位から2600年(皇紀2600年)にあたるとして、大きな行事の開催が期待されていました。また、15年前の関東大震災から復興した東京を世界に知らしめたい、復興を援助してくれた諸外国へ恩返ししたいとの思いもあり、当時の東京市長・永田秀次郎氏が国際オリンピック委員会にオリンピックの招致を掛け合ったのです。最終的に開催地候補はフィンランドのヘルシンキと一騎打ちとなるのですが、事前にIOC会長を日本に招いて接待するなど懸命のアピールもあり、東京はみごとに1940年のオリンピック開催地に決まりました。それが1936年のことです。

 

 

■決まらない競技場候補地


しかし、問題はメインスタジアムの建設です。候補地として「代々木練兵場(現:代々木公園)」「青山射撃場跡(現:青山霊園)」「千駄ヶ谷」「品川駅東部」「駒沢ゴルフ場」「上高井戸」「砧」の7か所が挙がるも、代々木練兵場は陸軍の反対、千駄ヶ谷は土地買収が困難、他のエリアも交通の便などから折り合いがつかず、開催決定から半年たっても競技場が決まりません。これが響いて肝心の開催日程やプログラムを決めることも困難になり、さらに翌年に日中戦争に突入したことから、日本はオリンピック開催を撤回せざるを得ないと判断したわけです。
もっとも、各国が緊張状態にあるなかで政府は軍事強化に必死で、オリンピック開催に乗り気ではありませんでした。それから約30年後の1964年に晴れて東京オリンピックが開催され、これを機に日本の驚異的な経済成長に繋がったのは周知の事実です。しかし2020年に再び開催が決定した際は新型コロナウィルスにより一年延期、エンブレム盗用事件や新国立競技場計画での混乱、関係者の不祥事による解任劇、使途不明な五輪経費など様々な問題が勃発したのは記憶に新しいところ。こうした歴史を紐解いてみると東京でのオリンピック開催は、スムーズに事が運ばないか大成功かという、両極端な結果になっています。

 

 

■ゼロ戦の試作機が完成


さて、戦争がらみの話に戻ると、その象徴的な出来事として、この年に「ゼロ戦(零式艦上戦闘機)」の試作機が完成しています。この後、数々の改良を経て、アメリカ軍に恐れられるほど高性能な機体が完成するのですが、その原点となったのがこの年です。
この、世界に名を轟かせた「ゼロ戦」を設計したのは三菱内燃機製造(現:三菱重工業)にいた堀越二郎氏。東京帝国大学工学部航空科(現:東京大学工学部)を首席で卒業した超天才で、海軍からの「格闘性能・航続力・速度の全てを満たす戦闘機がほしい」という無理難題とも言える要望を、見事に実現したのでした。
彼の半生は、スタジオジブリ制作の長編アニメ「風立ちぬ」でも描かれており、実際に観たという人も多いのではないでしょうか。

 

ともあれ、1938年を一口に言うと、「国家総動員法」で戦争を最優先した結果、開催が決まっていた東京オリンピックが中止となり、ゼロ戦が生まれたという年です。できるなら戦争はしたくないが、自国を守るために戦争の準備はしっかりする必要があるという、日本のみならず世界各国が主導権争いで互いにけん制し合っていた時期でもあると思います。

 

 

〈1938年の新語・流行語〉
・大陸の花嫁(結婚を機に満州国に渡った女性のこと。メディア主導で満州へ嫁ぐ女性を推奨した)
・あーのねえおっさん、わしゃかーなわんよ(一世を風靡した、俳優・高勢実乗の持ちギャグ。敵わないという言葉が戦意喪失に繋がるとみなされ、後に軍部から自粛を求められる)

 

〈1938年の新商品、ヒット商品〉
・木炭自動車(日中戦争開始による燃料統制で原油が不足したことから、木炭や石炭燃料にシフトした自動車やバスが次々と開発される)

 


〈1938年に生まれた有名人〉


1月23日 ジャイアント馬場(プロレスラー。新潟市三条市出身。プロレス界史上最大209cmの巨体を持つ。長身から繰り出す16文キック、馬場チョップを得意とする)
1月25日 石ノ森章太郎(漫画家。宮城県登米市出身。「仮面ライダーシリーズ」をはじめとする特撮作品の原作者として知られる。その他の代表作は「サイボーグ009」「人造人間キカイダー」など)
1月25日 松本零士(漫画家。福岡県久留米市出身。代表作は「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など。同じ漫画家の石ノ森章太郎と生年月日が同じで、同時期に手塚治虫氏のアシスタントを務めていたという縁がある)
3月3日 米田哲也(元プロ野球選手。鳥取県米子市出身。投手として歴代2位の通算350勝を記録。驚異的なスタミナから付いた異名は「人間機関車」)
3月5日 中島誠之助(古美術鑑定家・骨董商。東京都港区出身。テレビ東京系列で放映される鑑定バラエティ番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としてレギュラー出演したことから有名に)
3月11日 梅宮辰夫(俳優・タレント。満州出身。1958年に東映ニューフェイスの5期生としてデビューし、映画スターとして活躍。辰兄の愛称で親しまれ、娘はモデルの梅宮アンナ)
3月30日 島倉千代子(演歌歌手。東京都品川区出身。紅白歌合戦にて30年連続出場の記録を持つ。代表曲は「人生いろいろ」)
4月4日 細木数子(タレント・占術家。東京都渋谷区出身。1985年に出版した「運命を読む六星占術入門」がベストセラーに。晩年はTVバラエティ番組でも活躍)
11月10日 山城新伍(俳優・タレント。京都府京都市出身。任侠映画や時代劇などの役者として活動したのち、バラエティ番組にも進出。司会者としてもおなじみ)
11月3日 小林旭(俳優・歌手。東京都世田谷区出身。映画俳優としてスターとなり、石原裕次郎らと日活の黄金時代を築く。美空ひばりと結婚した時期も)
12月2日 権藤博(元プロ野球選手・監督。佐賀県鳥栖市出身。中日ドラゴンズのエースとして連投を重ね、「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語を生む)

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