コラム
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自分史の豆知識
【1937年】自分史と関連付けて書きたい1937年の出来事
1937(昭和12)年に生まれた人は、今年(2022年)で85歳を迎えます。
この年の大きな出来事は、「日中戦争」の勃発です。当時、日本は1931年の満州事変をきっかけに、翌1932年には満州国(現在の中国東北3省)を建国。これにより、日中関係は非常に緊迫していました。実際、中国では反日感情が高まった中国軍と現地の日本軍とのトラブルが頻発するようになり、治安も悪化していきます。
そうしたなかで7月7日に起こったのが「盧溝橋事件」です。日本軍が機関銃を誤射したことがきっかけで、盧溝橋(北京市の南西部にある石造りのアーチ橋)を挟んで小規模な戦闘が発生しました。
この対応策として、日本陸軍は2つの意見に分かれます。1つは中国との関係を維持する「不拡大方針」。もう1つは満州事変同様、盧溝橋事件を口実に中国に攻め込む「強硬方針」。軍部は「不拡大方針」を推すも、有事に備えて日本から現地への派兵が決まったことで、中国は徹底抗戦する意思を表明します。
これを機に中国各地で小競り合いが始まり、その争いは徐々にエスカレート。7月29日には日本人200人が虐殺される事件が起こり、上海でいよいよ日本軍と中国軍が本格的に衝突します。こうして戦いが長期化するようになり、日本はいつの間にか中国との戦争に突入していたというわけです。ちなみにこの年、戦艦大和が起工しています(完成は1941年12月)。
こうして軍事色は日増しに高まっていたものの、数年前に日露戦争に勝利した余裕からなのか、一般の人々にはそれを受け入れる風潮は少なからずありました。事実、国内では軍国調のファッションが流行。海軍風のハンドバッグやカーキ色の靴や服など、軍人を思わせるアイテムを身に付けた人々が街で目立つようになります。
なお、この年あたりから自動車産業が伸び始めます。4月に東京自動車工業(現:いすゞ自動車)、8月にはトヨタ自動車が創業。運送系だと10月には日本通運が創業しています。
〈1937年の新語・流行語〉
・食い逃げ解散(当時の内閣が予算案可決直後に解散したことから、こう呼ばれた)
・馬鹿は死ななきゃ治らない(浪曲師・広沢虎造の浪曲「清水次郎長外伝・石松三十石船」の歌詞のサビ。ラジオの影響で流行語に)
・挙国一致・尽忠報国・堅忍持久(国民の戦意高揚を図るスローガン)
〈1937年のヒット曲〉
・かもめの水兵さん(♪かもめの水兵さん 並んだ水兵さん)
〈1937年の新商品、ヒット商品〉
・愛国切手(日本初の寄付金付切手。寄付金は各地の飛行場の建設費用に充てられた)
・サントリーウィスキー角瓶(戦時体制で輸入が減り、国産のウィスキーが人気に。サントリーの経営危機を救う)
〈1937年に生まれた有名人〉
1月9日 森祇晶(元プロ野球選手・監督。岐阜県岐阜市出身。巨人の捕手として活躍し、引退後は西武ライオンズの監督として常勝チームを築く)
2月7日 阿久悠(放送作家、作詞家。兵庫県洲本市出身。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」沢田研二の「勝手にしやがれ」、ピンクレディの「UFO」など数々のヒット曲を手掛ける)
4月11日 加山雄三(歌手・俳優。神奈川県横浜市出身。1965年に発表した「君といつまでも」は350万枚の大ヒット。愛称は「若大将」)
5月26日 モンキー・パンチ(漫画家。北海道浜中町出身。代表作に「ルパン三世」など。本名は加藤一彦)
5月29日 美空ひばり(歌手。神奈川県横浜市出身。9歳でデビューし、「歌謡界の女王」の異名を持つ。最も売れた曲は「川の流れのように」)
6月15日 伊東四朗(俳優・タレント。東京都台東区出身。お笑いグループ「てんぷくトリオでデビューし、その後は俳優、司会者としても活動)
6月25日 小渕恵三(政治家。群馬県吾妻郡出身。官房長官時代の1989年、新元号の「平成」を発表したことで知られる。1998年には総理大臣に)
7月29日 橋本龍太郎(政治家。東京都渋谷区出身。1996年1月~1998年7月まで総理大臣を務める。剣道教士六段の段位を持つ)
11月11日 養老孟司(医学者。神奈川県鎌倉市出身。2003年に出版した『バカの壁』はベストセラー第1位に)