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自分史の豆知識

2020/08/28

ミニ自分史「志村けん」編

ミニ自分史「志村けん」編

ミニ自分史「志村けん」編 

(ネット上の情報をもとに自分史風にアレンジしたコラムです)

 

 

■お笑いの世界に入ったきっかけ

 

私は1950(昭和25)年2月20日、志村家の3男として東京都東村山市に生まれた。父が32歳、母が31歳のときだ。小学校の教師だった父は真面目一辺倒で、昭和の父親像を絵に書いたような人だった。その影響からか、2人の兄は大学を卒業後、どちらも公務員になった。

父は真面目かつ厳格で、いつも志村家はなんとなく重苦しい雰囲気に包まれていた。が、当時はまだ珍しかったテレビでお笑い番組の漫才や落語を観ていたときだけは、父は柄にもなく声を上げて笑っていた。

この厳格な父をここまで楽しませるお笑いの力は素晴らしい──。そう思った私は中学生くらいの頃から、お笑いの世界に憧れを抱くようになった。その頃、父は校長への昇進を目指して勉強に明け暮れていたが、それを見て「つまらない人生だな」と感じたのも事実だ。

 

東村山第二中学校時代は文化祭でコントを披露したり、時にはバンドを組んだこともある。高校は、西武池袋線の東久留米が最寄り駅の、都立久留米高校(現:都立東久留米総合高校)に進学。部活はサッカー部に所属し、ゴールキーパーをやっていた。

 

その頃にはもうお笑いの世界に進むと決めていたので、進学は考えなかった。実際に高校2年のとき、喜劇俳優だった由利徹さんのもとを訪ねて弟子入りを志願したが、そのときは断られてしまった。それで今度は高校3年生の卒業間際、18歳になったばかりの私はいかりや長介さんの家に直接出向いて弟子入りを志願した。ドリフターズの音楽性に魅力を感じたからだ。

その日は雪が舞い散る寒空の下、長さんの帰宅を12時間ほど待ち続け、ようやく話ができた。しかし門前払い同然の扱いで、あっさり突き返されそうになった。それでも食い下がって熱意を伝えると、「バンドボーイが辞めてメンバーに欠員が出たら採用するよ」と言ってくれた。

その一週間後、長さんから後楽園ホールに呼び出され、正式に採用を告げられた。タイミングよく欠員が出たのだ。私は喜び勇んで「高校を卒業したらお世話になります!」と伝えると、長さんは「バーカ、明日から巡業先の青森に行くんだよ!」と一言。それで私は卒業式を目の前にして、翌日からドリフターズのバンドボーイとして青森巡業に同行した。とても忙しくて、高校の卒業式は午前中だけ休みをもらって出席し、その足で仕事場に戻ったことを覚えている。

 

■加藤茶の付き人に

 

ドリフターズのバンドボーイとして帯同するようになってからは、加藤茶さんの付き人になった。だけど忙しいわりに給料も安かったため、1年ほどたった頃だろうか、バーテンダーのアルバイトを始めた。ドリフターズから離れることについて、別のバンドボーイに伝言を頼んだのだが、彼が長さんに伝え忘れており、私は脱走したことになっていた。

一時の気の迷いで他のアルバイトなんかもしてみたが、やっぱり私はお笑いがやりたい。そう思って長さんに謝ろうと思ったが、気まずくて長さんの家には行きづらかったので、加藤さんに頼み込んで口添えしてもらった。破門も覚悟したが、長さんは「二度も弟子入りするなんて、よっぽどお笑いが好きなんだろう」と出戻りを認めてくれた。それから私は再び加藤さんの付き人となり、加藤さんの家に居候させてもらうことになった。

 

■芸能生活48年

 

1972年(昭和47年)、22歳の私はお笑いコンビ「マックボンボン」を結成して芸能界デビューを果たした。相方も、同じドリフターズの付き人だ。ちなみに芸名は「志村健」。これは父の「憲司(けんじ)」から名付けた。

当時、私の役目はツッコミ。体を張ったネタが受け、その年の10月には日本テレビ系列で日曜日の18時半~19時の枠で放映されたバラエティ番組「ぎんぎら!ボンボン!」の司会をすることになった。しかし知名度のなさやネタのクオリティの低さから人気は低迷し、12月末には早くも打ち切りが決定。そのことにショックを受けた相方が失踪し、新しい相方を探すもうまくいかず、「マックボンボン」は自然消滅した。

 

その約1年後、1974年3月いっぱいで荒井注さんが脱退することになり、その後釜として正式にドリフターズのメンバーに昇格した。私が24歳のときだ。他にも何人かのバンドメンバーの候補もいたが、最終的には加藤さんの推薦によって私が選ばれた。

 

ドリフの正式なメンバーになってから2年ほどは目立った活躍はできなかったが、『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで歌った「東村山音頭」が受け、それから注目してもらえるようになった。その後の活動は、皆さんの知るところだ。

 

2016年8月、私は66歳のときに肺炎で12日間ほど入院した。それまでは、多いときで一日3箱のタバコを吸うほどのヘビースモーカーだったこともあり、それが原因だと思う。これに懲りて退院後は、ずっと禁煙が続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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