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自分史の豆知識

2019/11/07

一番最初に「自分史」を書いたのは誰?

一番最初に「自分史」を書いたのは誰?

世界で一番最初に「自分史」を書いたのは誰か、知っていますか。

 

 

諸説ありますが、現存するものとしてはフランスの哲学者、ジャン=ジャック・ルソーが1764~1770年にかけて書いた自叙伝「告白」が最古とされています。

 

このルソーは、世界史の教科書に太字で出てくるくらい、歴史的にも有名な人物。「社会契約説」の理論を提唱したことで知られます。社会契約説は国家と市民との関係における近代憲法の基礎となる考え方で、日本国憲法もここから生まれています。

 

ルソーが「自分史」を書き始めたのは53歳の頃。それから6年をかけて仕上げた「告白」は第一部が6巻、第二部も6巻の全12巻で構成されています。第一部は少年~青年時代を明るくユーモアを交えて描き、第二部は不遇な晩年を描いた暗めの内容になっているそうです。

 

ルソーは41歳のときに書き上げた初の大作『人間不平等起源論』や、その後に発表した『社会契約論』、教育について記した『エミール』が世間に広く受け入れられ一躍、時の人になりました。

しかしそんなルソーの晩年がなぜ、不遇だったのでしょうか。それは重度の被害妄想や露出癖、マゾヒズムなど精神の変調に悩まされ、周囲から疎まれる存在でもあったからです。これが原因となり、私生活では愛人とのあいだに生まれた5人の子ども全員を養育院に入れたというエピソードも残っています。

晩年は、「心を悪徳から、精神を誤謬から保護すること」を目的とした教育論『エミール』の内容が斬新すぎたがゆえパリ大学から厳しく弾圧され、それが原因で逮捕状が出るまでに。結局、ルソーは生まれ育ったフランスの地を離れ、スイスへ亡命することになります。

 

こうした逃亡生活を続ける状況下において、「自らの真意を知ってほしい」との一心で書き上げたのが、冒頭で上げた世界初とされる自分史「告白」です。母国から迫害を受けながらも、ルソーは自らの正義を貫くために自分史をしたためました。

しかし後年、この「告白」は「懺悔録」という訳され方もしました。ルソーは正義だと思って書いた内容に関して、言い訳に満ちた内容と感じた人が多かったのも事実だったそうです。

 

ともあれ、輝かしい功績を残したルソーは晩年になり、自らのことを包み隠さず書き残しました。結局「自分史」は、自らの存在意義や考えを形にしたものにすぎませんが、逆に言えばそうでもしないかぎり、自分の本当の思いを誰かに知ってもらうのは難しいとも言えます。

誰にでも、多かれ少なかれ承認欲求があります。もし自分の本当の気持ちを残したいのなら、ルソーの「告白」のようにありのままの思いを書き記してみてください。その思いはきっと、読者の胸を打つはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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