コラム
COLUMN
自分史の豆知識
「家訓」と「自分史」が知的財産である理由
「自分史」は、家訓でもあります。
自分史には「自分の思いを後世に残す」という側面もありますから、正確には家訓的要素も含んだ書籍ということができると思います。
いま、家訓と言ってもピンとこない人のほうが多いかもしれませんが、鎌倉時代から戦前にかけては、多くの家に先祖代々伝わる家訓がありました。例えば独眼竜でおなじみの戦国武将、伊達政宗家に伝わる家訓は以下のとおりです。
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・仁に過ぐれば弱くなる(愛情が深すぎると情にもろくなる)。
・義に過ぐれば固くなる。(義理や道理と重んじすぎると融通が利かなくなる)
・礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。(礼儀も度がすぎると相手への媚びになる)
・智に過ぐれば嘘を吐く。(知識や知恵がありすぎると平気でうそをつく人になる)
・信に過ぐれば損をする。(人を信じすぎると損をする場合もある)
気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(いとま)申するがよし。
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といった具合ですね。そもそも家訓とは、家長が一族や子孫のために記した訓戒のこと。自家を永続させるため鎌倉時代以降に広まった習慣で、武士の家ならば武士としての倫理や家法を、商人の家ならば商売の方法や心構えなどを書き記して残しました。
「情報」の媒体がほとんどない時代において、先人たちが家訓として残した生きる知恵やノウハウは、貴重な情報源として重宝されました。つまり「家訓」=「知的財産」だったんですね。実際に家訓は、金品や田畑よりも価値のあるものでした。地域の人々でその知的財産を共有したケースもあったそうです。
家訓から派生したものが3つあります。
1つ目は「家伝」。これは歴代の家訓をまとめ、必要な情報も付加した門外不出のものです。
2つ目が「追悼録」。親類や近しい人々が故人を偲んでその業績をまとめたものです。
3つ目が「自伝」。いわゆる立志伝的な側面が強く、自らの成果や成功までの過程を書き記したものです。
そして、この「自伝」という概念が一般大衆に広まったのが「自分史」という位置づけです。ですからやはり、「自分史」のルーツは家訓にあると言っていいと思います。そう考えると「自分史」もまた、知的財産と考えることもできそうです。
ですからぜひ、これまでの貴重な経験や人生と通じて学び得た知見を、「自分史」という形でアウトプットしてみてください。そうすればきっと、「自分史」という素晴らしい知的財産が生まれるはずです。